謎解きは授業のあとで ある六つの事件

1.信頼できない三人の語り手_問題編 辰巳成信


野田拓海


 今日は文化祭の前日で、学校中が準備に大忙しだった。ぼくたち 二年B組の出し物はお化け屋敷だ。ものすごい手間のかかる出し物 だからぼくはやりたくなかったが、「文化祭と言ったらお化け屋敷 かメイド喫茶」と思っている人が多く、ほぼ二者択一でお化け屋敷 に決定してしまった。案の定、準備の進捗は芳しくなく、当初お化 け屋敷を推していた連中が不満ばかり垂れている有様だった。

 うちのクラスは教室のほかに、美術室と美術準備室を作業場とし て借りている。いま、クラス二つの班に分かれて作業をしていた。 教室で作業する一班は、室内の装飾を担当しており、美術準備室で 作業している二班は、手芸部の霧島由紀を中心に、ミシンを扱える 人たちで衣装の制作をしていた。ぼくは一班の方だ。ほかに、台本 を担当している西川裕樹は教室の隅で黙々とパソコンに文字を打ち 込んでおり、ポスターを担当している森本雄一郎は、美術室で一人 で絵を描いている。美術室は物置も兼ねているのでゴタゴタしてお り 、あまり落ち着ける環境ではなさそうなのがかわいそうだ。

 ぼくはいま、美術室でどうしてもやりたいことがあった。そし て、それをできるチャンスは、おそらく今日しかなかった。だか ら、教室の装飾なんかしてないで、早く美術室に行きたいのだ。何 か口実を設けて抜け出せないものか…… 。

 脇を見ると、暗幕を取り付けていた村上武流が、「あれ、カーテ ンフックが足りない。美術室に取りにいかないと」とぼやいてい た。

これはチャンスだ。

「よかったら、ぼくが取りに行こうか?」

「おお、頼むわ。珍しいな、野田が率先して雑用してくれるなん て。取りに行くふりしてサボろうってんじゃないよな」

 そんな風に思われているのか。まあ仕方ない。普段のぼくは決し て気が利くタイプではない。

「ち、違うよ。あれ、その箱はもう空いてるね。ついでに置いてき てあげるよ」

「本当か。ありがとな。うれしいよ、お前が心を入れ替えてくれ て 」

 皮肉めいた感謝を背中に受けながら、ぼくは美術室に向かった。

 まさか、ぼくがこんなことを企んでいるなんて、誰も思いはしない だろう…… 。


 美術室で、ぼくはやるべきことをやった。これから、こいつを外 に持ち出してしまなければ。

 引き戸を開けて、ぼくは美術準備室に出た。美術室は美術準備室 の奥に位置するので、直接廊下に出ることはできない。

 美術準備室では、皆が黙々とミシンを動かしていた。ぼくはなる べく目立たずに廊下に出ようとしたのだが、学級委員長の辰巳 たつみ 成 しげ 信 のぶ が「おつかれさん」と声をかけてきた。

「お、おう。おつかれ」

「…… 」

 辰巳はなぜかぼくの顔をじっと見てくる。

—— まさか、気づかれたか?

「な、なんだよ」

「いやあ、隈がひどいなあと思って。あんまりよく眠れてないんじ ゃないか?本番は明日なんだから、無理すんなよ」

 ぼくは動揺のあまり頭が真っ白になってしまったが、どうやら体 調を気遣ってくれただけだと気づき、胸を撫でおろした。まった く 、紛らわしい奴だ。

 「そりゃ、どうも」とだけ言って、ぼくはそそくさと廊下に出た。 あと少しだ。あと少しで、ぼくの目的は完全に達成するのだ—— 。 



黒沢真由


わたしは今、ビニールテープで蜘蛛の巣を作っていた。いかにも 廃墟のような雰囲気を出すための装飾だが、あまりに作り物めいて いて、かえって興覚めになる気がした。前から、文化祭のお化け屋 敷なんて、馬鹿馬鹿しくて好きではなかった。でも、所詮は子供の ごっこ遊びに過ぎないお化け屋敷に、「全然怖くない」だの「演出 がなってない」だの、知ったような顔でケチつける奴はもっと嫌い だから、文句は言わないようにしてきた。

  野田が美術室から戻ってきた。さっきの口実の作り方は、どこか わざとらしい気がした。何を考えているのだろう。

 まさか、わたしと同じことを?

 そんなはずないか。

 わたしには、どうしてもやり遂げたいことがあった。そして今日 は、その千載一遇のチャンスなのだ。

 そのためには、一人で美術室に行かなくてはいけない。それなの に、野田なんかにウロウロされたら、鬱陶しいことこの上ない。

 でも、いいわ。美術室に出入りした人間が増えれば増えるほど、 それをやったのがわたしであることが、露見しにくくなるんだから 。

 しかし、いつまでもグズグズしているわけにはいかない。どこか のタイミングでわたしも、適当な口実を見つけて、美術室にいかな くては。

 ビニールテープを切らしたことにするか。

 横を見ると、村上が、

「やっべー、今度はテープがなくなっちまったよ。誰か取ってきて くれねえかなあ。なあ、野田?」

「えっ、また僕?今帰ってきたばっかだよ?」

「なんだよ、さっきはあんなに働き者だったのに。心を入れ替えた んじゃなかったのか?行ってくれたっていいじゃねえか。逃げん なよ、おい野田― 」

 村上はゲラゲラ笑っている。何が面白いんだか。馬鹿みたい。

 「わたしが行ってくるよ。ちょうどわたしもビニールテープ切らし たとこだし」

 「さすがちゃんまゆ!気が利くゥー!お前も見習えよ野田!」

 村上は野田の肩をバシバシ叩く。

 野田はやけにわたしの顔をまっすぐ見て、

「あ、ありがとう、黒沢さん」

 なにこいつ。気持ち悪い。 わたしは空き箱を持って教室を出た。

 すると、学級委員の山下みどりがやってきて、

「真由ちゃん待ってー。美術室に行くなら、ついでにこれも持って 行って」

と言って、わたしが持っている箱の中に、一回り小さい箱を入れ てきた。 

 なんなの、人に押し付けて。何様のつもりよ。


 さて、美術室でやるべきことはやった。次にすべきは、これを運 び出すことだ。急いでやらなければ…… 。

 美術準備室に出ると、そこでは十人ほどが黙々とミシンを動かし ていた。わたしは、裁縫とかチマチマしたことが好きな人の気持ち は理解できなかった。だから、これだけの数の人間がミシンに向か っている光景は、ちょっと異様に思えた。

 目立たずに廊下へ出ようとすると、文芸部に所属していて、一班 を仕切っている霧島が話しかけてきた。

「真由ちゃん、お願いなんだけど、ちょっと買い出しに行ってきて くれないかな。布地が足りなくなりそうなの」

「悪いけど、わたしも手が離せないから。自分で行ってちょうだ い 」

 わたしにはまだやらなければいけないことがあるのだ。

「今日中に衣装を完成させるには、今のペースを崩したくないの。 教室で手が空いてそうな人を見つけて行ってきてもらって。ね? お願い!」

「…… 仕方ないわね」

 人にものを頼むときだけ高い声を出す女は心底嫌いだ。

 でも、そ ういう手合いと口喧嘩になれば勝ち目がないこともわかっている。 素直に引き下がることしかできない。 そんな自分が誰よりも嫌いだ。

 不愉快な感情を押し殺して、わたしは廊下に出た。



西川裕樹

 締め切り前の作家ってこんな気持ちなのか。だとしたら、俺には 作家は向いていない。追い込まれたときに良い発想が出てくるとは 思えないし、こんな精神状態になってなお、創作を好きでい続けら れる自信はない。

 出し物がお化け屋敷に決まったとき、俺は真っ先に台本の執筆に 名乗りを挙げた。クラスメイトの反応は、「台本なんか必要な の?」だった。俺は呆れ果てた。お前ら、台本もなしにどうやって 客を怖がらせるって言うんだ?その場のアドリブでやれるとでも 思ってんのか?だとしたら、あまりにエンターテインメントを甘 く見ている。なんの訓練も積んでいない素人が、下準備もなしに人 を楽しませたり驚かせたりしようだなんて、勘違いも甚だしい。人 間をなめている。面白いものがなぜ面白いのかを考えたこともない 低能ども。こんな浅い奴らの中に、お化け屋敷に対して確固たるア イデアを持っている人物なんて、当然いないだろう。俺が書くしか ない。あのときは本気でそう思っていた。勘違いしていたのは俺の 方だった。

 俺は怪奇小説やホラー映画には一家言あるつもりだったし、浅草 花やしきの年間パスポートを持っていて、毎月のようにお化け屋敷 に通っていた。日本中探しても、俺ほどお化けに精通した高校生は いないだろう…… そんな思いすらあった。まだ誰にも見せたことは ないが、怪奇小説の掌編をいくつかものにしていて、筆力にも自信 があった。俺は異常なほど思い上がっていた。俺の台本でこいつら を屈服させられる。そんな風に考えていた。

 当然ながら、現実は甘くなかった。そもそも俺の筆力がかなり疑 わしい上に、小説とアトラクションの台本では勝手がまるで違っ た。文字の上では悪くない文章も、生身の人間が演技すると途端に 安っぽくなる。俺ははじめ、それを演技するキャストのせいにして いた。しかし、何度も打ち合わせをして、そのたびに衝突を繰り返 し、俺は自信を失っていった。そして、キャストを担当する倉田哲 弥に「お前の台本を面白いと思ったこと、一回もねえから。お前の やること、全部自己満足なんだよ」と言われ、俺のプライドを木っ 端微塵になった。それから、文章は何ひとつ浮かんでこなくなり、 台本は一向に書き終わらなかった。「お前が早く書いてくれねえ と、練習もできねえだろ」と急かされ、思い出したくもないような 罵声を何度も浴びた。倉田たちはとうに俺を見放したのだろう。ど うやら、台本が完成しなかった場合のプランBが、すでに用意して あるらしい。昨日、練習しているところをちらりと見かけてしまっ た。案の定、それは悲惨な出来栄えだった。こんなのじゃ、誰一人 怖がらないし、眉ひとつ動かすには至らないだろう。そんな感想を 抱いている自分に気づき、まだプライドの欠片を捨てきれていない ことに絶望した。

 台本を書き上げなければいけないという使命感はなぜか残ってい た。しかし俺の頭に活きた発想は何ひとつなく、ただ機械的に文字 を打ち込んでいるだけだった。これではプランBと大差ないではな いか。そう思いながらも、やはり微かなプライドが邪魔をして、途 中で放り出すことを許さなかった。早く書き終えて楽になりたい。 自分から名乗り出た台本書きは、今となっては重荷でしかなかっ た。

 そして今、エンターキーを押して、ようやく書き終えたのだ。

 とりあえず、まずは自分で一通りチェックしてみる。意外と悪く ない出来栄えかもしれない。ホラーの定石を踏まえつつ、演者の特 徴を生かしたキャラクターづくりが出来ているように思うし、文化 祭という枠を逆手にとったどんでん返しも用意してある。投げ出さ なくて本当によかった。

 だが、これを誰に見せよう。いきなり倉田に見せて、全否定され たら俺は本当に立ち直れない。まずは委員長の辰巳にしよう。あい つなら間違いなく肯定から入ってくれる。辰巳は今美術準備室にい るんだったな。ちょうどいい。俺には、美術室でやらなきゃいけな いこともあるしな。

 リュックサックにパソコンを入れて、廊下に出た。

 すると、買い出しに行っていた佐藤学と高島慎也が、ちょうど帰 ってきたところだった。

「よう西川。台本は終わったか?どこ行くんだよ」

「今ちょうど書き終わったところでさ。まずは辰巳に見せに行こう と思ってたんだけど」

「へえ、じゃあ美術準備室に行くんだな。ついでにこれを霧島に渡 してくれよ」

 そう言って、両手いっぱいの布地を渡された。


  美術準備室に入ると、全員が真剣な表情でミシンに向かってい た。やっぱり、みんなちゃんと自分の役割を全うしているんだな。 俺だけ台本を途中で投げ出していたら、間違いなくクラスでの立場 はなくなっていただろう。

「霧島、これ。佐藤と高島が買ってきてくれた」

「あら西川君。ありがとう。佐藤君と高島君にも伝えておいて」

「おう」

 それから、辰巳の方に向かい、

「辰巳。台本が完成したんだが、とりあえずチェックしてくれない か」

「おお、いいよ。ようやく出来上がったんだな」

俺はパソコンを起動し、台本の文書ファイルを開いた。

「どんな台本なんだろう。楽しみだなあ」辰巳の目はきらきら輝い ている。そんなに期待されると不安になってくる。

  辰巳はじっくりと台本を読んだ。読むの遅いなあこいつ。普段あ まり本を読んでいない証拠だ。

俺には永遠にも思える時間が過ぎて、ようやく辰巳は画面から顔 を上げた。

「うん、すごく良いよ。やっぱり西川は文才あるなあ。早く倉田た ちにも見せてやってくれ。あいつも待ってたから」

「倉田が…… 」

「うん。あいつ、台本が完成しなかったときのために自分で話を考 えてみて、はじめて難しさに気づいたらしい。西川はすごかったん だって。お前にひどいこと言っちゃったの、気にしてたよ」

  倉田が本当にそんなことを言ったのかはかなり疑問だが、辰巳に 褒めてもらえたことで気が楽になった。これで苦しい執筆作業とも おさらばできる。肩の荷が下りた。心の底から清々しい気分だ。

 ようやく、俺が本当にやりたいことをやれる。

  一世一代の悪事を。

  俺は美術室に入った。



辰巳成信

 西川は美術室から何か荷物を運び出していった。衣装を作り終え るにはもう少し時間がかかりそうだが、西川が布地を持ってきてく れたおかげで、作業がはかどっている。

 みんなよく働いてくれているな。委員長として嬉しいことだ。

 それから一時間弱作業していたら、糸がなくなってしまった。

「霧島、糸持ってないか?」

「ごめん、今は手元にない。美術室に置いてあるはず」

「そうか。取ってくる」

  僕は美術室に入った。

  おや、おかしい。

 今までずっと美術室でポスターの絵を描いていた森本がいない。 ポスターもなくなっている。

 出かけたのだろうか。 いくら絵を描くのが好きな森本でも、トイレくらいは行くだろう し、休憩だってしたいだろう。出かけていてもおかしくない。

—— いや、おかしい。森本が出かけているはずはない。

  美術室から直接廊下には出られないのだ。美術準備室を通らなく てはならない。森本が出かけたなら、美術準備室にいた僕たちが気 づかないはずはないのだ。

  森本はどこに行ったのか?

 念のため窓を確認するが、内側からクレセント錠が掛かってい る。そもそもここは三階だ。窓から外に出るはずがない。

—— 掃除用具入れの方から、気配を感じた気がした。

  隠れているのか?何のために?

「おーい、森本。そこにいるのか?」

 返事はない。

  絵に夢中になりすぎて失禁してしまったとか、のっぴきならない 事情があるのかもしれない。だとしたら、あまり騒ぐのはかわいそ うだ。ここはそっと事情を聞いて、僕がなんとかしてやらなけれ ば。

「開けるぞ。いいか?」

 小声で言った。やはり返事はない。

 掃除用具入れを開いた。

 中には、背中にぱっくりと傷口を開いた上半身裸の森本と、血に まみれたポスターが入っていた。


 それから、僕は副委員長の岡本秀和と一緒に職員室に報告に行 き、先生が警察を呼んだ。美術室は立ち入り禁止になり、二年B組 は全員教室で待機することとなった。教室中が落ち着かない様子 で、みんなヒソヒソと話していた。僕は探偵小説好きの茂原 もばら 高師 たかし と 話していた。

「死体を見つけたのは君なんだろう?それに、君はずっと美術準 備室にいて、美術室の人の出入りを全て見ていた。ねえ、君が知っ ていることを話してくれよ」

「おいおい、これはお前がいつも読んでる悪趣味な小説じゃないん だよ。現実の殺人事件なんだ。興味本位でズカズカ首突っ込むな よ。不謹慎だな」

「いいから話してくれよ。別にいいじゃないか。減るもんじゃない んだから」

「仕方ないなあ」 僕は茂原に、美術準備室で見聞きしたことと、死体を発見したと きのことを全て話した。と言っても、野田、黒沢、西川の三人が美 術室に出入りしたこと以外、特筆すべきことはなかった。

「ふむふむ。なるほど…… 」茂原がわざとらしい相槌を打つ。

「美術室に出入りしたのは三人しかいないんだから、やっぱり、三 人のうち一人が犯人だよな…… 」

教室を見渡すと、やはりその三人は、少し浮いているように見え た。

「本当にそうかな?公平に見るなら、君も容疑者の一人だと思う けど」

「そんな!あんまりだ!せっかく話してやったのに!」

 大きい声を出してしまった。クラス全員の視線が僕に突き刺さ る。

「ははは、冗談だよ。君が犯人ではないことはわかっている。実は さっき、校庭のごみ捨て場に可燃ごみを持って行ったのだが、そこ で、面白いものを見つけたのさ」

「面白いものって?」

「350mm×600mm×400mm の段ボール箱が、潰しもしないで放り 込まれていた。気になって、中を覗いてみると…… なんと、血で汚 れた数々の証拠品が入っていた」

「なんだって?いったい何が入っていたんだ?」

「まず、ズタズタに引き裂かれたクラスTシャツ。背中側は血でべ っとり汚れており、前面もところどころ血がついていた。間違いな く 、森本君のTシャツだろうな」

「Tシャツが…… 」

確かに、森本の死体は上半身裸だった。犯人が脱がせて持ち去っ たのか。

「次に、血がついた果物ナイフ。これには家庭科室の物であること を示すシールが貼ってあった。それから、軍手が一組と、ブルーの ポンチョが一着。これらは、返り血を防ぐために使われたのだろ う。最後に、血で汚れた雑巾が二枚。こぼれた血を拭いたのだろう な」

「それで全部か…… 。やっぱり最大の疑問は、犯人はどうして、森 本のTシャツを脱がせて引き裂いたりしたのか、ってことだよな」

「それはおそらく、ダイイング・メッセージだろうね」

「ダイイング・メッセージ?」

「ああ。あのクラスTシャツの前面には、クラス全員の名前がプリ ントされている。森本君は最後の力を振り絞って、犯人の名前のと ころに、血で印をつけたのだろう。犯人としては、それが見つかっ てしまえば、自分が犯人であることが簡単にわかってしまう。だか ら、脱がせたうえでズタズタに引き裂いて、メッセージを読み取れ ないようにしたのさ。死体を掃除用具入れに隠したのも、こぼれた 血を拭いたのも、Tシャツを処分してしまうまでは死体を発見され たくなかったからだ。でも、そのあとの処理はあまりに杜撰だった ね。早く手放したかった気持ちはわかるがあまりにお粗末だ。ゴミ 捨て場に放り込むなんて。燃やしてしまうことは出来なかったにし ても、ほかにやりようはあったはずだ。所詮は素人の仕事というこ とか」

「まるで、お前は玄人かのような言い草だな」

「まさか。俺は素人探偵だよ」

「…… 。じゃあ、もしかして、お前は引き裂かれたTシャツをつな ぎ合わせて、メッセージを確認したのか?そうすれば、犯人はわ かるはずじゃないか」

「いや、そこまではしなかった。その時点では、まだ森本君が殺さ れたことを知らなかったしね。ただ何か怪しい物が捨てられている と思っただけだった」

「今から確かめに行けば…… 」

「今教室を抜け出したら、誰もが君を怪しむだろうね。俺には君が 犯人ではないことはわかっているが、下手な行動はしない方が良 い。それに、段ボールはもう警察の手に渡っていると思うよ」

「そうだよな…… 。でも、なんで僕が犯人でないとわかるんだ?」

「それは、君にはあの段ボールを捨てることができないからだよ。 犯人は美術室で段ボールに証拠品を入れて外に持ち出し、Tシャツ を引き裂いてから、ごみ捨て場に放り込まなければならなかった。 だが君は、死体を発見したあと、岡本君と職員室に行き、それから はずっと教室にいた。一度も一人になっていないんだ。だから君に は段ボールを捨てる時間はなかった」

「ああ、よかった。殺人犯だと疑われるなんて、耐えられないから な」

「そんな耐えられない状況にある人物が、この教室に三人いること を忘れないでくれよ」

「もちろん忘れてないさ」

「では、推理を先に進めたい。段ボールに入っていた物のうち、果 物ナイフは家庭科室の物だし、軍手と雑巾も学校の備品だ。段ボー ルも美術室にあったものだろう。でも、ポンチョだけは違う。あれ は学校に備え付けの物ではない。辰巳君、ポンチョが、もともと美 術室に置いてあったものかどうかわかるかい?」

「いや、そんなもの美術室にはなかったはずだよ。昨日最後に美術 室を出たのは僕だし、今日の朝も、僕と森本が一番早く美術室に来 たんだ。その時に、置いてある荷物を一通り点検したけど、ポンチ ョなんかどこにもなかったよ。部屋のどこかに隠してあったなんて こともないはずだ。それ以降、森本はずっと美術室でポスターをか いていて、ほかに美術室に出入りしたのは、野田、黒沢、西川、僕 の四人だけだ。僕も森本も、もちろんポンチョなんか持ち込んでな い」

「信じよう。それなら間違いなく、あのポンチョは、犯行の際に犯 人が持ち込んだ物だ」

「それを手掛かりに、事件を解決できるのか?」

「できると思うよ。解決するのは俺じゃなくて警察だけどね。あの ポンチョは犯人の私物だから、何かしら犯人を示す情報が得られる だろう。俺たちはただ待っていればいい。今日か明日には、勝手に 解決するんだから」

「じゃあ、解決のために僕たちにできることは何もないのか…… 」

「うん。俺や君が事件の解決に役立つことはない。でも、そんな俺 たちでも、犯人が誰なのかを知ることは出来るよ」

「どういうことだ?」

「俺がごみ捨て場で見つけた物と、君から聞いたことを合わせれ ば、推理によって犯人は特定できる」

「本当か?」

「ああ。考えてみればいい。俺が見つけた段ボール箱は、犯人が美 術室から持ち出したものなんだ。君が美術準備室で見聞きしたこと を思い出してみろ。美術室から段ボールを持ち出した人物こそが、 犯人たる資格を持っている」


Q森本を殺害した犯人は?




























1.信頼できない三人の語り手_解答編 辰巳成信


「美術室から段ボールを持ち出した人物こそが、犯人たる資格を持 っている。犯人は、証拠物件が入った350mm×600mm×400mm の 段ボールを抱えて立ち去らなければならなかった。逆に言えば、段 ボールを持ち出さなかった人物は、犯人たりえないということだ。 よって、君が見た通り、段ボールを持ち出さなかった野田君は、犯 人たる資格を持っていない」

「うん、そこまでは僕もわかってる」

 野田が美術室から持ち出した のは、片手で持ち運べる手提げ袋だ。そういえば、僕が野沢の体調を 気遣ったとき、彼は空いているほうの手で、自分の胸を撫でおろして いた 。あれは何とも奇妙な動作だった。

「さあ、これで容疑者は、段ボールを運び出した人物、黒沢さんか西 川君に限られた。二人のうちどちらが犯人か。 鍵となるのはポンチョだ。あのポンチョだけは、学校の備品では なく、犯人が持ち込んだものだ。これまで、あんなもの美術室にはな かったことを、君が証言している。あのポンチョは、今日、犯行の際 に、犯人が持ち込んだのだ。 しかし、ポンチョというものは非常にかさばる。生身のままポン チョを抱えて美術室に入れば、美術準備室で作業していた君たちが 気づかないはずはない。だから犯人は、箱か、あるいは鞄か何かに入 れてポンチョを持ち込まなければならない。 これでもうわかっただろう。ポンチョを持ち込むことが可能だっ た人物こそが犯人だ。よって、手ぶらで美術室に入った西川君は、犯 人ではありえない」

「そうか!」西川は、リュックサックを背負い、大量の布地を抱えて 美術準備室に入ってきた。しかし、霧島に布地を渡したあと、肩の荷 を下ろしたのだ 。だから、彼にはポンチョを隠しておく場所がなかっ た。

「犯人には、現場に持ち込むべき物と、現場から持ち出すべき物が あった。三人の容疑者のうち、一人は持ち出すことができず、一人は 持ち込むことができなかった。つまり…… 」

「犯人は…… 」

「そう、黒沢さんしかいない。彼女が森本を殺した犯人だ」

  結局、ポンチョのタグに書かれた品番から足がつき、黒沢は逮捕 された。彼女は以前から森本を嫌っており、今日なら美術室で森本 と二人きりになれるとわかって、殺意を抑えられなかったらしい。

  その後明らかになった小さな悪事が二つある。野田は、カーテン フックを運ぶついでに、以前から好きだった黒沢の体操着を、手提 げ袋に入れてこっそり持ち出したらしい。準備のどさくさでバレな いと思ったんだとか。あと、西川は浅草の遊園地に行きすぎて金欠 で困っており、文化祭のための資金を着服してしまったのだそうだ。 当初は森本の目を盗んでやるつもりだったのだが、美術室に入って みると誰もいないので、しめしめと思って派手に盗んでしまった。 二人とも、警察からの指導はなかったが、教師からはこっぴどく叱 られた。この程度のことでも、普段の学校なら大事件だが、殺人事件 があったせいで、大した話題にはならなかった。








2.失われた音色_問題編 朽名終


ステージ上のテーブルに乗せられた小さな箱は、シャンデリアの 光を反射して金色に輝いている。

 白い手袋をはめた解説員の細い指がゆっくりとゼンマイを回すと、 箱からは美しい音楽が流れ出した。

  輝きながら回るシリンダーを、観客達が固唾を呑んで見守る。オ ルゴールとしては珍しくもない機構だが、百年以上も前に異国の王 族の屋敷にあったもの、という解説が、その姿を過剰に魅力的に見 せているのだろう。

 少し前までは、解説を聞かず、気ままに館内を歩き回る客が何人 かいたが、今は皆ステージの前に集まっていた。椅子にあぶれて立 っている者もいる。私も周りと同じように、澄んだ音色に耳を傾け た 。

 ふと ,その中に雑じる衣擦れの音に気付いた私は、ステージの正 面側にある展示室に視線を向けた。紺のジャケットを着た男が一人 だけ、入り口近くのガラスケースに顔を寄せていた。少し前に一人 で入ってきた客だ。

 彼が覗き込んでいるガラスケースには、手のひらに収まるくらい の本当に小さなオルゴールばかりが集められている。小さく、機構 が単純な代わりに、凝った装飾が施されていて、表面に埋め込まれ た宝石たちが、眩いばかりの光を放っている。彼もその輝きに魅せ られた者の一人というわけだ。

 視線をその男から,ステージのオルゴールに戻した瞬間、視界の 端に、小さな光が見えたような気がした。はっとして再び男に視線 を戻すと、そこにはもう何も変わったところはない。

 私が再びステージのオルゴールに視線を戻すのとほぼ同時に、余 計な音を一音だけ付け加えて、オルゴールは回転を止めた。

「これで今回のガイドは終了です。ここからは自由にご観覧くださ い 」

  解説員は客に向かって頭を下げた。白い手袋をはめた細い手が、 ゆっくりとオルゴールの蓋を閉める。客たちは、魔法が解けたよう に動き出して、思い思いの展示物の前に散らばる。

 ここはオルゴール専門の博物館だ。決して大きな博物館ではなく、 解説員も二人しかいないが、世界でも最も古い型のオルゴールや、 大人の背丈ほどもある大きなディスク式のオルゴール、そして何体 ものオートマタ達が所蔵・展示されている、中々由緒のある博物館 だ。

「これ、本当に良くできていますね」

 ステージの片付けをしていた解説員に、一人の老婦人が話しかけ た。彼女の示す先には、先程までステージで動いていた少女のオー トマタがある。曲に会わせて口を開閉し、首を振る仕掛けが施され ている。

「そうでしょう。当時一番と言われた職人の作です。ここまで綺麗 な形で、しかも動くものが残っているのは、本当に奇跡に近いんで 2 す。ここに飾ってあるものの中で、こうして動かしてみせることが できるのは、ほんの一握りです」

 そう言ってステージの後ろのショーケースに並べられたオートマ タ達を手で示した。美しく精緻な人形たちがガラス戸の内側に押し 込められて、皆同じように正面を向いている様は、畏怖の念さえ感 じさせる。

「ああ、そうなんですね。でも、動かなくても、見ているだけで綺麗 ね。お洋服のレースなんかも、本当に細かくて。私はもうよく見えな いけれど・・・・・・ 」

「是非,ごゆっくり御覧ください」

  そう言って、解説員はオートマタを元あったショーケースに仕舞 うと、ステージの前、部屋の端から端まで張られた、「関係者以外立 ち入り禁止」の札がかかったロープの外側に出た。こちらからは後 頭部しか見えなかったが、微笑んでいるのがわかった。

 室内には、絨毯を踏みしめる靴音と、衣擦れの音だけが満ちてい る。

 そ の静寂が破られたのは、一人の客が、ガラスケースに手をぶつ けた瞬間だった。それは、先ほど男が覗き込んでいた、小さなオルゴ ールばかりを集めたケースだった。

  カン、という聞きなれない音とともに、そこにいた人々の視線が ガラスケースに集中する。手をぶつけてしまった客は、青い顔でガ ラスケースを見つめている。

 ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた。入り口近くにいたもう一人の 解説員が発したものだ。

  ガラスケースは、中の展示物を入れ替えるために、側面の一つが 開くようになっている。当然、普段はそこに鍵がかけられていて、簡 単に開くことなどありえない。

 その側面は今、大きく開かれている。

「そんな、そんなばかな」

 解説員の震える声が、館内に響く。

 ガラスケースの中から、オルゴールが一つ、姿を消してしまって いた。

 私は、解説中に視界の端で確かにとらえた、鋭い光を思い出して いた。


  すぐに警察が呼ばれ、今中にいる人間たちは外に出ないように指 示された。

 幸い、今日ここにいる人間のほとんどはツアー客だったから、一 人だけ抜け出して帰ろうとするような客はおらず、困惑しながらも、 皆おとなしく警官の指示に従って、事件の捜査に協力的な姿勢を見 せている。

 だが、あの紺のジャケットの男は、この騒動が持ち上がるよりも 前にいなくなっていた。

 警官の指示で、館内にいる人間は全員、ステージ前の椅子に集め られた。目つきの鋭い、四十がらみの男性警官が、ステージを背にし て立つ。まるでテレビドラマのワンシーンのようだ。

 私の方から、解説員二人、客たち、そして受付担当という並びだ。

「それでは、鍵を持っていて、あのガラスケースを開けられるのは、 解説員のお二人だけ、さらに館内のケースはすべて作り付けの台に 固定されていて、ケースを持ち上げたり、動かしたりすることもで きないというわけですね」

  警官は、そう言ってこちら側に顔を向けた。二人そろって彼の言 葉に頷く。

 「そして、あのケースの鍵が締まっていることと、オルゴールがす べて揃っていることは、解説を始める前に、二人で確認した、そうい うことでしたね?」

  これにも、二人で頷いた。

「しかし、物騒ですなあ。解説の間、あの展示室はほぼ無人だったわ けでしょう。警備員か何か必要なんじゃないですかねえ」

「予算があれば、ぜひそうしたいんですけれども、中々難しいもの でして」

「それに、無人とはいっても、このステージは展示室側を向いてい ますから、何かあればわかります」

 二人の言葉に、警官は首を傾げた。

「でも、解説中、ずっと前を向いているわけでもないでしょう。オル ゴールの操作なんかもあるわけだし」

「まあ、それはそうですが…… 」

 確かに、解説の際は、オルゴールの方を向いている時間も長い。さ らに、今日のように立ち見の客がいる場合には、展示室の様子はか なり見えにくい。だから、警官の指摘はいかにももっともなのだっ た 。

 しかし、そんな話を今したところで仕方がない。反論している彼 女だって、実際自分の解説中に盗難が行われたのだから、警官が言 ったようなことは当然わかっているはずなのだ。

 警官は一つため息をつくと、それでは、これからお一人ずつ身体 検査をして、お話をお聞きします、と言って、私たちを舐めるように 見回した。


「身体検査の結果、誰の荷物からも、また身体からも、オルゴールは 見つかりませんでした。念のため館内のすべてのケースも調べまし たが、そちらにもありませんでした。まあ、今日ケースを開けたの は、解説に使ったオートマタのケース一つだけということでしたか ら、これは元から期待していませんでしたが」

 先刻と同じようにステージを背にした警官が、眼光鋭く彼の観客 たちを睨みつける。

 「もう一度聞きます。本当に、皆さんは誰一人として、解説中に怪し い人物を見たり、何か不審な出来事に気づいたりはしなかったんで すね?どんな些細なことでもいいんです、何か気づいたことはあ りませんでしたか」

 私はただ、ぼんやりと前を向いて、警官の渋い顔を眺めていた。客 たちは、互いの顔色を窺うように、何も言わずに顔を見あわせる。数 分待ってみても、誰も言葉を発することはなかった。


問題:「私」は、紺のジャケットを着た男が不審な動きをしていたこ とに思い至っているにもかかわらず、そのことを警官に話していま せん。それはなぜでしょう。そう判断した根拠とともに示してください。


























2.失われた音色_解答編 朽名終


薄暗い店内には、陽気なBGM が満ちている。ネオンサインがき らめく下で、客たちは皆、顔を寄せ合って楽しそうに笑いあってい る 。

 盗難騒ぎから半月余りが経った。あれから、私たち解説員は経営 者からひどく叱責され、もう一人の解説員はひどく落ち込んでいた。 たが、私が盗人の手引きをしたことには、誰も思い至らなかったよ うだった。

 ドアが開く音が聞こえて、そちらに目を向ける。入ってきた男は、 まっすぐに私のテーブルに着いた。目深に帽子をかぶって、色付き の眼鏡をかけている。さすがに、あの日の紺色のジャケットは着て いなかった。

  やってきたウエイターに向かってコーヒーを頼む。再びウエイタ ーがカップを手に戻ってきて、ごゆっくり、という言葉と共に去る と、目の前の男はやっと口を開いた。

「こんなにうまくいくとはね」

  そう言って、彼は、煙草の箱をテーブルに乗せた。中には、あのオ ルゴールを売って作った金が詰められているはずだ。私は周囲の目 に触れないように煙草の箱を別のものにすり替えて、中をのぞいた。 確かに金が入っている。

「別に、そんなに難しいことじゃないさ。あの日、団体客が来ること はあらかじめわかっていた。後は、観客が集まりやすい出し物を選 んでおけば、ほとんどの客はステージに引き付けられる。そうすれ ば、展示室は無人になるし、立ち見客のおかげで死角を作れる。僕な ら、ケースの鍵を開けるなんて簡単だし、ステージの担当時間だっ て自由にできる」

逆に言えば、解説員である私の協力がなければ、この計画は成り 立たない。この男には共犯者が不可欠で、しかもそれは、私でなけれ ばありえないのだ。

「しかも、あんたはもう一人の解説員と一緒に、ステージに立って 解説の補助をやってる。鉄壁のアリバイがあるってわけだ」

 私はその言葉に頷いた。そう、あの日私は、解説が始まるのと同時 にステージに立ち、あの騒ぎが持ち上がるまで、ステージの中にと どまっていた。老婦人に声をかけられた後、ステージを去る同僚の 後姿を見ながら、私の心臓は早鐘を打っていた。もう二度とあんな 思いは御免だ。

 そういう意味では、今回の計画で最も危ない橋をあたる羽目にな ったのは、解説が終わってから、盗難騒ぎが持ち上がるまでの間だ った。もし、閉館まで誰も盗難に気づかなかったりしたら、私にも嫌 疑がかかっていただろう。もっとも、私の同僚はそんなことを見落 とすほど無能ではないから、あのアクシデントがなかったとしても、 そんな事態にはならなかったに違いない。

「しっかしあんた、そんな人形みたいな顔してるくせして、悪魔み たいなやつだな」

 目の前の男は、椅子の背もたれに身を預けて、どこか挑発的な眼 差しを私に向けた。私はそれに微笑みを返す。

「僕が人形だったら、あんな面白い光景は見られなかっただろうな。 なんてったって、人形たちは、あのガラス張りのショーケースの内 側から出られないんだから」

  私はそう言いながら、警官の顔の後ろのガラス戸に映る、困惑し た顔の愚かな観客たちを思い出していた。






3.密室の落とし物_問題編 森林木木


編集者である私は、さるミステリ作家の家に行っていた。

 いつもなら原稿の催促なのだが、今日は珍しく仕上がっているらしい。犯人当てを依頼し たのだが、内容は密室ものだと言っていたような気がする。これまでにも密室ものはいくつ か書いてはいるのだが、そのどれもが可もなく不可もなくといった感じなので、あまり期待 はしないでおこう。

そんなことを考えながら、私はそのミステリ作家の家のチャイムを押した。


「やあ、よく来てくれたね。」

「ご無沙汰してます。」

 そんないつもの挨拶を済ませると

「それで、原稿というのは?」

「まあ、そう急かさなくてもいいだろう。」

 そういいながら、先生は原稿用紙の束を取り出す。大体100枚ぐらいか。中編ぐらいか な。

「 では、読ませていただきますよ。」

 そう言って、私は読もうとしたが、

「ちょっと待ってくれ。」

 そう言って、原稿用紙を2枚渡してきた。

「何です?これ」 そう聞くと

「最初に入れるつもりで書いたが、入れなかった犯人の独白だ。」

「どうしてそれを私に?」

 そう私が聞くと先生は少し笑って

「犯人当てをしてもらいたい。」

 いや、犯人当ての小説を依頼したのだから当然だろう。と私が問い返すと

「この入れなかった犯人の独白とこの付箋の貼ってある原稿を使ってね。」

 そう言われると、もらった原稿の中にいくつか付箋が貼ってある。

「実は、犯人の独白を最初に入れたら、読者への挑戦どころか、探偵が登場する前、事情 聴取の段階で読者に犯人が分かってしまうことに気づいてね、探偵の存在意義がなくなる から、この独白は入れなかったんだけど、ちょっとこの状態で解いてみない?」

「はあ、分かりましたよ。」

 そう言って、私はその独白と、付箋の貼ってある数ページを読むことにした。



犯人の視点


 ここをこうして、こうすれば… 。 密室の完成だ。

 我ながらいい出来だ。

  父を思わず殺してしまった時はどうなることかと思ったが、うまく事故に見せかけられ そうだ。

  第一、父が悪いのだ。あれぐらいの金すぐ出せるだろうに。

 しかも、出さないどころか、私を罵倒してきたのだ。その言葉についかっとなって… … いやもう思い出さないでおこう。

 うまい具合に事故らしく見せかけられたはいいが、警察には殺人だと分かるのではない かと考えていたところで、これまたうまい具合に密室トリックを思いついた。しかもそのト リックは失敗してもまたやり直せるトリックだったため、そのトリックを使ってこの部屋 を密室にしたのだ。

 ひとまず、やるべきことは終わった。あとは逃げるだけだ。

 そのようなことを考えながら彼女は、車で彼女の父の家を去っていった。


 はあ、疲れた。

 父の家を去った彼女はそのまま彼女の家に帰っていた。

 ひとまず、私が父の家に行ったってことは誰も知らないはず。母もお手伝いさんもいなか ったし。しかもあの家、鍵は頑丈だけど、監視カメラもないから、映像が残っているはずも ないし、指紋はきれいにふき取ったし。まさに、完全はんざ…

 そんなことを考えながら服を脱いだ彼女はとんでもないことに気が付いた。

 ない… 。「あれ」がない。確かに私の家を出る前にはあったのに… 。

そう思うや否や彼女は家中をくまなく探した。リビングだけでなく、バスルームや庭まで。 もちろん車の中も。しかしなかった。

 今日家から出て、行ったのは父の家だけだ。つまり「あれ」は父の家にある… 。

 そのことに気づいた彼女はすぐに彼女の父の家に戻った。幸い明かりはついていない。 彼女は家中をくまなく探した。

 しかし、やはり見つからない。

 もしかして… 。

 ある可能性に気づいた彼女はすぐに、彼女が造った密室を覗き込んだ。

ああ… 。

  彼女の探していたものは、密室の中のそれも父の体の上にあった。おそらく事故に見せか けようとしたときに落としたのであろう。彼はあくまで事故死したはずなのだがその上に 「あれ」があるのは明らかにおかしい。おそらく警察も事故だとは考えないだろう。そして 事故ではないとなると殺人だ。そして、その殺人を行うことができるのはこの世で母とお手 伝いさんと私たち三姉妹の5人だけなのだ。なぜならそれ以外の人物はこの部屋に入れな いのだから。それに加えて「あれ」を落とすことができるのは3人のみである。

 そのことに気づいた彼女は明らかに動揺した。

 「あれ」自体が犯人が私だと名指しするわけではない。ただ、「あれ」は確実に犯人足り える人物を私たち三姉妹に限定してしまう。そこから捜査されると… あるいは… 。

 彼女は必死に考えた。そしてひらめいた。

 私が第一発見者になればいい。その時「あれ」を拾えばよい。

 しかし、問題があった。どのような口実でいけばよいのだ?

 彼女は外面的には5年帰っていないのだ。実際は5年の間にかなり父に金を無心に行っ ていたのだが。そうだとしても、行くのはかなり不自然だ。

 しかし、彼女は決心した。

「あれ」を回収しさえすれば、殺人だということはばれないであろう。仮に殺人だとばれ たとしても、殺人を実行できたのは5人だけであるということが分かるだけだ。ここからさ らに増えるということもないが絞られるということもない。逆に回収しなかったら、すぐに 殺人だとばれて、しかも三姉妹の中に犯人がいるということまで分かってしまう。多少不自 然でも第一発見者になるのが賢明な判断だ。

そう決意した彼女は、父の家に行く理由を考え始めた。



刑事の視点


 老人が自宅で変死していたため一応捜査に来たが、これはおそらく事故であろう。

  確かに、他殺と考えられなくもないが、何せ現場は密室であるのだから。

 そんなことを考えながらも、刑事はいつもの型どうりの事情聴取をした。

「ここで亡くなっていたのは、笹原良一さん78歳、あなた方のお父さんということで間 違いありませんね。」

「はい。」と長女の春子。

「ええ。」と次女の夏美。

「間違いありません。」と三女の秋江。

「あなたがたが第一発見者だそうですが、どのようないきさつでここにいらっしゃった のですか?聞いたところによると全員5年間こちらには来ていなかったと聞きましたが。」 と聞くと

「久しぶりに顔を見せたいなと思って。」と春子。

「ちょっと父が唐突に心配になって。」と夏美。

「たまたま近くを通ったのでそのついでに。」と秋江。

  こいつら、何か隠してるな。

 刑事はそう感じたが、深く聞くこともなく次の質問へ移った。

「では、次に遺体発見の状況の説明をお願いします。」

「ええっと、まず私がこの家に着いたとほぼ同時に秋江が来て。」と春子。

「そして二人で入ろうとしたときに、夏美が来て。」と秋江。

「それで、三人でこの家に入ったわけだけど、父がいなかったからみんなで探していたら、 奥のこの部屋で父が倒れているのが見えて、急いで二人を呼びに行きました。」と夏美。

「部屋に入ろうとしたら、鍵がかかっているみたいで扉が開かなくて、119番通報しよ うと思ったんですけど、家のどこに電話があるのかも忘れていて、それにプラスして全員携 帯電話を持っていなかったので、119番するよりも先に部屋に入ろうという話になって。」 と秋江。

「それでこの窓ガラスを割って全員で中に入ったんですけど、一目見て死んでいるのが 分かったので119番に急いで連絡することもないと考えて、110番に連絡するために 私が電話を探しに行って通報しました。」と春子。

  刑事は作為的なものを感じたが、特に気にすることなく次の質問に移った。

「分かりました。次にこれはあくまで形式的な質問ですが、死亡推定時刻の昨夜、皆さん は何をしていましたか。」

「昨夜は一人でした。」と春子。

「私は夫と一緒にいました。」と夏美。

「私は子供と家で一緒に寝てました。」と秋江。

  近親者と一緒にいたなんてアリバイにならんな。 得られるものはないと考え、最後の質問に移った。

「では、最後の質問です。この部屋に入ることのできる人は誰ですか?」

「ええっと、母と私たち三人とお手伝いさんたちです。」と春子。

「ほかに入ることのできる人はいませんか?」

「無理です。なぜなら… 。 この後長い説明が三姉妹から語られたのだが、要約するとこの部屋に入ることのできる 人間はごく限られるということが分かれば刑事にとっては十分だった。

「質問は以上です。再度お伺いするかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。」

  そう言って刑事は三姉妹を返し、刑事自身は現場に踏み入った。

 老人の死因は机の角に頭をぶつけたことによるものだ。滑って頭を運悪く打ち付けたと いうことも考えられなくもないが、突き飛ばされて打ち付けたということもありうる。

  刑事自身は当初は事故だと考えていたが、今は他殺の可能性が高いと考える。しかし、い かんせんこの部屋は密室なのだ。

  三姉妹が共犯でそろえて嘘をついているということも考えられなくはないのだが、密室 だったと証言するのは自ら疑われに行くようなものではないか。

 そんなことをする理由は ない。 そう考えるとやはりこの部屋は密室だったという結論になり、事故ということになるが これは他殺だと刑事の勘から考える。三姉妹が不自然すぎるのだ。

  ひとまず、三姉妹のアリバイの裏でもとりに行くか。

  そんなことを考えながら、刑事は現場を後にした。


 ひとまず、三姉妹のアリバイの裏は取った。しかし、ほとんど意味がなかった。

 まず、春子は自分でも言った通り一人だったためアリバイはなし。近所の人にも聞いたが 収穫はなかった。

  次に夏美、彼女の夫から昨夜は一緒にいたとの証言は得られたが、近親者なのであてには できない。

  最後に秋江、彼女は子どもと家で一緒に寝ていたそうだが、その子どもは5歳、アリバイ の証言者にはなることができない。ただ隣室の住人の証言によると昨夜は何の物音もしな かったそうだ。まあ、これもアリバイの証明にはなっていない。

  ただ、被害者の妻とお手伝いのアリバイは確認できたそうだから、殺人だと分かれば、犯 人はあの三姉妹の中にいると分かるのだが。いかんせん密室の問題がある。

 これはあいつに聞いたほうがいいかもしれんな。

 そう思った刑事はある番号に電話を掛けた。



 原稿はこれで終わっていた。

「どうだい、分かったかい?」と先生。

 私は少し考えこんだが、答えが分かりかけたので先生に

「三点確認したいことがあります。まず、笹原良一を殺害した犯人は笹原良一の娘である 春子、夏美、秋江のいずれかであるかどうか。次に犯人の視点に書かれている犯人の行動、 心理は真実であるかどうか。最後に刑事の視点からの情報は、刑事が聞いた状況を嘘偽りな く表現しているかどうか。この三点についての答えを聞きたいです。」と聞いた。

「答えはすべてYES だ。」

  その先生の答えを聞いて私は確信した。そして言った。

「犯人が分かりました。」


笹原良一を殺害したのは誰か?























3.密室の落とし物_解答編 森林木木


「ほほう。では聞こうか。」

「はい。まず私が注目したのは犯人の視点の部分に書かれている


 そう思うや否や彼女は家中をくまなく探した。リビング だけでなく、バスルーム や まで。 もちろん車の中も。しかしなかった。


という一文です。ここから犯人である彼女 の家にはリビング、バスルーム、庭があるという ことが分かります。そのうちリビング、バスルームは大体の家にはありますが、庭がある家 というのは自ずと限られます。それは一軒家 です。これで犯人の家は一軒家であるというこ とが分かりました。それを踏まえて刑事の視点の部分に書かれている


 最後に秋江、彼女は子どもと家で一緒に寝ていたそうだが、その子どもは5歳、アリバイ の証言者にはなることができない。ただ隣室 の住人の証言によると昨夜は何の物音もしな かったそうだ。まあ、これもアリバイの証明にはなっていない。


 という部分に注目してみると、秋江の家はアパートかマンションであり、少なくとも一軒 家ではないということが分かります。もし一軒家だったら隣の家のことを隣室なんて言い ませんからね。 このことから、秋江は犯人ではあり得ないということが分かりました。

  次に注目したのは、犯人の視点に書かれていた


 そして、その殺人を行うことができるのはこの世で母とお手伝い さん と私たち三姉妹の 5人 だけなのだ。なぜならそれ以外の人物はこの部屋に入れないのだから。

 や

 仮に殺人だとばれたとしても、殺人を実行できたのは5人 だけであるということが分か るだけだ。ここ から さらに 増える と いう こと も ない が 絞られる と いう こと も ない 。

という記述です。

 ここから分かるのは「あれ」が死体の上から発見されなければ、殺人を 実行可能であったのは、つまり、事件現場に入ることのできるのは三姉妹、彼女の母、そし てお手伝い さん5人だけであると犯人は考えていたということが分かります。

 これを踏 まえて刑事の視点に書かれている


「では、最後の質問です。この部屋に入ることのできる人は誰ですか?」

「ええっと、母と私たち三人とお手伝い さん たち です。」と春子。


という記述を見てみると、春子は事件現場に入ることができるのは彼女の母と三姉妹、そ してお手伝い さん たち であると考えているということが分かります。お手伝い さん たち と 言うからには2人 以上 を指すため、春子は事件現場に入ることができると考えているのは 最低でも6人 であり、5人 ではないということを知っています。

 この点から、春子は犯人ではないということが分かります。

 つまり、笹原良一を殺した犯人がこの笹原良一の娘のいずれかであるとするならば、犯人 は夏美です。 合っていますか?」

  長丁場のしゃべりを終えた私は先生に尋ねた。

「見事だ。その通りだよ。」と先生。

「まあ、ミステリの編集者ですから、多少は。では、休憩もそこそこにして次に行かない といけないので、それでは失礼します。こちらのほうも読ませていただきますよ。」 私はもらった中編を指しながら言った。

「休憩か。君にはそうかもしれないな。まあ、それじゃあ、またよろしく。」 先生は少しあきれた顔でそう言った。

「では、失礼します。」

「また来てくれ。」

そのような型どうりの挨拶を先生と私はかわし、私は先生の家を去った。


  あとでもらった中編全体を読んでみて分かったのだが、どうも最初に読んだあの犯人の 独白の章はこの中編に使うために書いたのか怪しく思えてきた。

  なぜなら、まず「あれ」が何であったのかどころか、犯人が現場に落とし物をしたとい うことさえ全くこの中編中では語られなかったのだ。まず、犯人自体違うのだが。当然犯人 当てのロジックも全く違う。

  急遽、プロットを変えたということも考えられなくもないが、それにしては都合が良すぎ る 。

 お そらく、この中編を書き上げた後で、その中からいくらか抜粋し、そしてあの犯人の独 白を書いたのでは無いかと私は考える。  なぜ、先生はそんな手の込んだことをしたのだろうか。まあ、理由は一つしか思い浮かば ないが。私だけに解かせるためであろう。ただその理由は分からないが。

 今度詳しく聞こう。

 そんなことを考えながら私は次の仕事に取り掛かった。







4.紅き仔羊のアペタイザー_問題編 毒拶鋏



窓の外は大海原。恐ろしい程に真っ青な晴れ空を振り返れば、咲玖島での休暇は恵まれたものになるだろうと毒拶鋏は確信した。


 咲玖島は、軍医を退職した本宮龍園(もとみやりゅうえん)の所有物だ。本州から船で六時間程度の所に位置している。静岡県を北へ海で渡った先に在る神津島をもう少し下ったところに位置する。引退後の本宮は独りで咲玖島に暮らしている。咲玖島には他に誰も住民はいないらしいので正真正銘の孤独が咲玖島には存在することになる。本宮は季節の変わり目毎に、自分の家を旅館として提供しており、それを利用し今回初夏の休暇として霧崎と共に訪れることになった。

 ただし今回、咲玖島に来ることを決めたのは霧崎の方だった。鋏はそれについてきただけだった。霧崎の訪問の理由は不明だった。

霧崎が本宮と知り合いであることだけ事前に聞かされていたが、その他は一切知らされていない。職業はおろか普段何をしているかも分からない正体不明の霧崎と退職した軍医のどこに接点があったのだろうか。しかし数日間が充実のためならば、それらの点は不問に

しても構わないだろう。

 咲玖島の訪問客は他に三人いる。大学生旅行者の佐津神機(さつかみき)、瀧上美那(たきがみみな)、至美流子(しみりゅうこ)だ。大学サークル『神学研究会』の仲間達らしい。

 早めの夕食を終えて、ダイニングで紅茶を飲んでいる際でさえ、佐津神機達三人は神学について語り合っている。本宮もそれなりに

興味があるのか食器の片づけを終えた後、佐津神機達の話に加わっている。ダイニングの窓際の本棚にも『ツィアハ聖典』があった一通り話し終えた佐津神機は、眼を閉じて瞑想している霧崎に声をかけた。からかい半分といった表情だ。男性にしては髪がとても

長く、顔だちは非常に整っている。どこか眼が笑っていないところがある。浅黒い肌に、上下真っ白の服。全身を黒い服で包んで病的な程に真っ白な肌をしている霧崎とは対照的だ。

「ねえアンタ、霧崎さん、だったっけ?アンタはセカテーの超越性

についてどう思うんだ?」

 霧崎はゆっくりと瞼を開けた。まるで死にゆく薔薇が花弁を落とす瞬間のように非常に滑らかな動きだった。そしてほとんど呟くよ

うな声量で答えた。

「否定されうる存在にこそに、存在は、陰気な闇の様に纏わりつく」

 佐津神機が驚いたような顔をした。

「へえ、アンタ、セカテーの否定体系をちゃんと理解しているんだ」

「… セカテーの存在は否定されることによって、存在を成立しうる。一見矛盾しているように聞こえるが、セカテーが存在するという事実は絶対であり、セカテーが存在の否定によって成立するのもまた事実である。つまり矛盾していること自体がセカテーを存在たらしめている。」

「ハハハ… 。凄いな、霧崎さん。ドゥメイユ・バルハンの『不還と邂逅』まで読んでいるんだな。だがドゥメイユのセカテー解釈はしばしば思考停止の誹りを受ける。確かに、そうだ。いくら全能の神、最高神を象徴するセカテーとて、存在に矛盾を抱えるものだとしたら、民は崇めること自体をナンセンスだと感じてしまうだろう。全能者のパラドクス、ゼノンのパラドクス、アキレスと亀。これらは哲学的命題として非常に興味深く、長年様々な観点から議論されてきた。

しかしセカテーは神なんだ。現実的存在として信仰されうるものだ。アンタのようにセカテーの完全な理解が出来る人間はそういない。民にはね、偶像が必要なんだよ。そんな矛盾を抱えているのにも関わらずセカテー信仰は圧倒的なものだ… 。つまりね、民にとってね、セカテーがどういう形態であろうと構わないんだよ。そこに超越的なものが在るだけで人は救われるんだ。けどね、無知蒙昧な信仰は神という真に尊ぶべきものに余剰な〈意味〉を与えてしまうんだよ!存在の否定は極限まで削ぎ落された〈意味〉の集合体だ。盲信は排他よりも邪悪で罰せられべき行為だ」佐津神機は一気にまくしたてた。その後に熱くなったことに気が付いたように、静かに席に座りなおした。一見して普通に見える佐津に、こんな情熱的な一面が垣間見えたことに鋏は驚いた。対する霧崎は薄く目を開き返答する。

「… ほう、君もそこまで考えのですね。その通り、信仰は常に神に捧げられるべき尊き行いだった。しかし、やがて全ての行いは形骸化してしまう。それは信仰に限った話ではない。例えばエネルギーの需要と供給は、人口の増加と技術革命と共に複雑化と不可視化を伴い、送信者と受容者の間で大きな解離を産んだ。誰一人その原理を知ることなく受け渡しが累積されることで、エネルギーは遂に現代の魔術にまで昇華される。君の言う通り、信仰の形骸化は、本来シンプルに研ぎ澄まされた〈意味〉を、ぶくぶくと膨れ上がった醜い子豚の様に育て上げることに他ならない。形骸化は〈意味〉をただ固定化するだけではない。意味の無限的付与を許可するという〈意味〉という意味での固定化だ。イデア的な〈意味〉が〈意味沈殿〉され、その周りをヘドロの様に付与が纏わりつく… 。しかしこれは人間の固有性でもある。言語と言うのは人間の固有的概念だ。勿論言語を疑似的に用いる動物は存在する。しかし言語における〈名詞〉と言う概念は正しく人間のみが理解できる概念だ。そう、〈名詞〉こそが〈物〉と〈呼称〉を結びつける。しかしその二つの間には、不可視の大きな溝が存在する。まるで夜明けを待つ哀れな旅人の孤独のような深い深い溝が… 。この〈物〉と〈呼称〉、そしてその溝ともいうべき〈意味〉は無限に反復するかのようにお互いを示しあう。この複雑な糸の絡まりが形骸化の形成だ。つまり人間が人間である限りこの形骸化の深淵から逃れることは出来ない。それは宇宙に浮かぶ暗黒の塊に光が追いかけられるように… 。それを越えることが出来るのは、糸の絡まりを見事に解くことのできる超越者のみだ。… そう、だからこそ、神を信じるのです。いいえ、神がいないことを確信してから、神を信じるのだ。その殉教的情熱と現実的死の狭間に、陽光の如く煌めく〈絶対〉が現れる… 。」

 誰も口を開く者はいなかった。霧崎の言葉を受けた佐津神機は興奮したように椅子から飛び上がり、自分の部屋へと戻っていった。

「あっ、待ってよ神機君」

 その後を至美流子が追いかける。

「何よ、流子ったら。媚び諂うように佐津君に付きまとって… 。」

 瀧上美那が呟く。憎しみの籠った表情だった。

 時計を見ると十八時だった。昼が長くなったとはいえ、そろそろ暗くなるだろう。

 その後、ダイニングに残った鋏、本宮龍園、瀧上美那の三人交代で雑談しながらのチェス。霧崎は相変わらず、眼を閉じて瞑想に耽っている。霧崎は人前で食事をしない。偶に水を飲む程度で、よく死なないものだと感心するばかりだ。


 ダイニングの壁に掛けられた大きな置時計が鐘を鳴らした。二つの針は二十二時を指し示している。一時間おきに鐘が鳴るようにな

っている。もうこんな時間かと、鋏と瀧上美那はそれぞれの部屋に戻っていった。霧崎は残るようだ。霧崎に話しかけようと思ったが、瞑想中に話しかけると機嫌が悪くなるので放っておくことにした。部屋はホテルのようにカードで開けるタイプのオートロックドアだ。予備がないため、本宮から失くさないように注意されている。昨日から泊っている部屋だが、ずっとここにいるような安らぎを感じさせる。家に帰ったら、部屋をここに似せて模様替えをしよう、そんなことを考えながら鋏は眠りについた。

 翌朝、鋏は八時丁度に起床した。ダイニングから微かに鐘の音が聞こえる。日差しを強く受けながらの、暖かな起床。久々にゆっくりと寝られたことに満足した。

 ダイニングへ行くと、霧崎と瀧上美那がすでに席に着いていた。八時五分頃に佐津神機も現れた。後は至美流子だけだが、八時半

になっても現れない。本宮が起こしにいこうとすると、瀧上美那が

「流子、朝に弱いのよ。ほっときましょうよ。きっと後でお腹を空かせてやってくるわよ」

と言うので、やむを得ず彼女抜きの朝食。

 トーストにビーフシチュー、アイスバイン、オニオンスープ。サラダや果物も充実している。本宮一人でこれ程の朝食を作ったのだろうか?かなり手が込んでいる上にとてもおいしい。横目で霧崎を見ると、テーブルの上には水の入ったコップしかなかった。

 朝食を終えると九時の鐘が鳴った。瀧上美那は気分が優れないと言って部屋に戻った。朝食にも余り手を付けていないようだった。

 その後、佐津神機と霧崎はそれぞれダイニングで読書。本宮はキッチンに戻っていった。食器を洗っているのだろう。あとは昼食の

仕込みだろうか。鋏は霧崎を見ながらぼんやりとしている。

 静かな午前だった。誰も動かない静かな午前だった。せいぜい十時二十五分に佐津神機が玄関付近の共同用トイレへ行ったくらいだ。

 十一時になった頃、佐津神機は部屋へ戻っていった。


 正午の鐘が鳴り響いたとき、キッチンから本宮が顔を出した。

「あと十五分もしたら昼食にしましょうか。申し訳ないんですが、三人を呼んできてもらっていいですか?」

 鋏と霧崎は頷きながら立ち上がり、ダイニング東側のドアから至美流子の部屋へ向かった。昨日の夜から姿を見せない彼女の部屋は

鋏の隣の部屋だ。鋏がノックをしても反応がない。

「流石に妙じゃないか?正午を過ぎているのに寝ているなんて… 」

 霧崎も僅かに頷いて同意した。ドア下の隙間は狭く何も見えない。そして変な匂いがするように思えた。

「… 死が視える」

 霧崎がぼそりと呟いた。こういう時の霧崎の言葉に間違いはない。すかさず本宮を呼び、二人でドアにぶつかりこじ開けた。

 刺殺された至美流子の死体が部屋のベッドの上に転がっていた。締め切られた部屋で、籠るような嫌な臭気が立っていた。正面から

刺されたらしい。大きな包丁が付きたてられていた。ベッドのシーツを真っ赤に染めて、彼女は静かに横たわっていた。

 そしてビーと、聞くものを緊張させる警音が聞こえた。

「そうだった。この館の客室のドアは三十秒以上開けっぱなしで警音が鳴るんですよ。冷蔵庫によくある機能をなんだがね、それを客

室にも取り付けたのをすっかり忘れていた。ちょっと待っていてください。私の部屋のパソコンで警音装置の解除をしてくるんで。」

 玄関にも人が近づくとチャイムが鳴るシステムがあるが、余程防犯が気になるのだろう。

 3人は他の2人を呼びに行くことにした。鋏が先導を切って部屋を出ようとしたとき、何かを踏んだことに気が付いた。ドアの付近

に紙が落ちていた。それを拾い上げたのち、佐津の部屋へ向かった。佐津神機も瀧上美那もノックに応じない。嫌な予感がした。本宮

は嫌な顔を顰めたが、瀧上美那のドアを先と同様に無理矢理開けた。すると天井から首を吊った瀧上美那の姿があった。首を吊って飛

び出た目玉が醜い。自殺だろうか。首に結び付けられているのは部屋の奥の窓を覆うカーテンの様だった。この部屋のカーテンだけが

取り外され、光が無作法に差し込んでいる。天井の梁から吊るされた彼女の足元には印刷機があり、そこから2枚の紙が印刷されてい

るのが分かった。


 死体に少々気を取られていたが、佐津神機の部屋をこじ開けた。また死体があるのかと思ったが、そこには誰もいなかった。

 もぬけの殻と化した部屋を見渡していると、部屋奥の机の上に2枚の紙が置いてある。

「一体どうなっているんだ… 」

 本宮と鋏は困ったような顔を向けあった。

 霧崎は瀧上美那の部屋から印刷されていた2枚の紙を持ってきた。

「… 3人はそれぞれ文章を残している。

お前が拾ったドア付近に落ちていた至美流子が残した文書1枚。

私が持ってきた印刷機に放置されていた瀧上美那の文書2枚。

この、佐津神機の部屋の机に置かれた文書2枚。

この5枚を読めば、見えるものがあるだろう。」

私たちは、3人の文書に目を向けた。


日記

至美流子

 今日は咲玖島二日目だった。朝ご飯を食べた後は、午前中は神機君と美那の4人で釣りに行った。釣りなんて初めてだし、釣り竿を持ったのも初めてだった。

 本宮さんが丁寧に教えてくれたから、終わりごろに一匹釣れた。ブラックバスらしい。正直、不気味な見た目だなーって思ってしまった。

 食べても美味しくないらしいのですぐに放流してあげた。釣れた瞬間は嬉しかったけど、その瞬間のためだけに存在する魚たちはなんて哀れなんだろう。

 午後は、ダイニングで本宮さんが所有しているボードゲームをした。『ラビリンス』ってゲームで、初めてのプレイだったから惨敗。私なんかに勝って得意げな美那が憎たらしかった。

 美那と言えば、やっぱり彼女を連れてくるべきでは無かったかもしれない。どうしても来たいって言うから連れてきたけど失敗だった。

 どうして彼女は、神機君と私が付き合っていることを理解してくれないのだろうか。

 こちらが怒るほど彼女は、楽しそうに私を見るのだ。本当に腹が立ってしょうがない。







日記(6/23 )

瀧上美那

 今日も楽しかった。やっぱり至美についてきて正解だった。

 午前中は釣り。三匹も釣れた。ノロマな至美の三倍だ。やっぱり彼女が悔しそうな顔をしているのをみると胸がすっとする。ざまぁないね。

 午後はボードゲームをした。『ラビリンス』。実を言うとやったことがあったから、至美にも圧倒出来た。超嬉しい。

 優越感が爽快だった。自分の行動が他人の感情を揺さぶる優越感。これが「操り」というものなのだろうか。「支配」のほうが近いかな。

 だけどこの優越感はまだちっぽけなものだと分かっている。

 彼女を完全に破壊する方法。彼女の魂を徹底的なまでに破壊すること。魂の破壊。魂の殺人。

 簡単なことだ。彼女から佐津君を奪ってしまえばいい。そうすれば徹底的な魂の殺人は為されるだろう。

 佐津君にふさわしい女性は私以外に在り得ない。

 しかしそれは容易ではない。彼女も必死に抗ってくるだろう。だが受けて立とうじゃないか。

 万が一の場合には、彼女を殺すべきかもしれない。

 殺す。それがどんな意味を持っているかぐらいは分かっているつもりだ。

 だが神機君のためなら成し遂げなければならな

い。そう、考えるようになった。

 窓の外を見ると美しい自然が広がっている。そよそよと揺れる花。朝焼けで水面を紅く染める太陽。

こんなに美しいものが溢れている島でどうしてこんな下らないことに惑わされなければならないのだろう。

 やはり私と彼の世界から彼女を消すべきなのかもしれない。







超越者のための葬送曲

佐津神機

ぶううううううううううんんんんんんんんんんんんんんんんんんんぐんぐんぐんぐんんんんんんんんーーーーーーーーーーーーーーーーーーんんんんんんんんんんんんんんん

うよしましろこをとひにめたのいかせきよりよ

殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人殺人死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死

「佐津神機は超越者なので殺人が是認されている。」超越者超越者超越者超越者超越者

「誰を殺しますか?」→ 最も醜いものを殺さなければならない。この世の美を侵す、人間の顔を被った悪魔を。弱き者、醜き者、愚かな者、全て殺さなければならない。テンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキテンキ


#include<stdio.h>

int main(void)

{

int murder, intenttomurder;

printf(″ 殺意の対象数:″);

scanf(″%d,& intenttomurder″);

for(murder =1; murder< intenttomurder; murder++)

  kill(′intenttomurder′);

return 0;

}

殺意の解析を行う。かかかかかかかかかかかかかかかかかかか心と言うものは不連続であり、しかし決まった行動のパターンを有する点に着眼して、1と0が交互に並ぶ周期関数に例えてみよう。もちろん1が行動を行う瞬間、0が行動を行わなかった瞬間としてる。そして0と1の間での人間の逡巡は誤差とする。超越者のためのモデルケースはシンプルに洗練されていなければならない。よって人間の心は次のような数式によって表される。ここでは特定の範囲のみを確認する。

{f(x)=1(0≦x<π)

=0(π≦x<2π) }

まず新たに周期関数g(x) を考える。

{g(x)=21(0≦x<π)

=-2

1(-π<x≦0)}

f(x) はg(x) 2に1 を加えた関数である。

よってg(x) をフーリエ級数展開し、それ2に1 を足せばよい。

フーリエ係数bn を求めると

bn=

𝜋

2 ∫ (0 → 𝜋) 21 𝑠𝑖𝑛𝑛𝑥𝑑𝑥

{= 2

𝑛𝜋(n が奇数)

=0(n が偶数) }

an はg(x) が奇関数より0 。

よってこれを𝑓(𝑥) = 𝑎02 + ∑ (𝑎𝑛𝑐𝑜𝑠 𝑛𝜋𝑥𝐿 + 𝑏𝑛𝑠𝑖𝑛 𝑛𝜋𝑥𝐿 )に代入すればよい。

これよりf(x)=21 + 𝜋2 (𝑠𝑖𝑛𝑥 + 31 𝑠𝑖𝑛3𝑥 + 51 𝑠𝑖𝑛5𝑥 + ⋯ )

解析終了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了。

僕はもうすっかり壊れているかもしれない

そうだろう、⛆■〇9?

君はどうなんだ?


必要なものは何だろう?

必要な言葉は何だろう?

それを誰に与えればいいのだろう?

僕は一体誰なんだろう?

積み上げられた罰を

欺瞞の中に在る最期を

破壊されてしまった空を

切り刻まれた空き缶を

理解されなかったパンを

咲き終わってしまった目玉を

禁じられてしまった空想を

減ってしまった後悔を

美に成れなかった銃弾を

苦しんだだけの人形たちを

貶められた運命を

完璧に墜落した飛行機を

投げ出されたカラスの群を

楽園に行った錆びた自転車を

杜撰な玩具の翼を

答えの無い時間を

濾過された空間を

全てに与えられてしまった意味を


ぶううううううううううんんんんんんんんんんんんんんんんんんんぐんぐんぐんぐんんんんんんんんーーーーーーーーーーーーーーーーーーんんんんんんんんんんんんんんん







「なんだ、これは… 。瀧上と至美の日記は理解できるが、この『超越者のための葬送曲』は支離滅裂だ!」

 本宮が文書をベッドに放り投げた。

「しかし、最後の二枚を抜きにして考えてみればある程度辻褄の合う結論は出せそうじゃないですか。瀧上の二ページ目を見れば分か

るように、瀧上は至美に殺意を持っていた。だから瀧上が至美を刺殺して、それを悔いた瀧上は部屋で首吊り自殺した。佐津は… 、まあ気が狂っていたんじゃないかな。それで手記を残してどこかへ行った。」

 すると霧崎が小さく笑った。

「… なるほど。神を語る者への挑戦という訳か。」

「はあ?」

「確かにお前の言う通りの解釈もありだろう… 。この場合、何が起きたのか正しく理解するためには、過去に遡る程のことをしなけれ

ばならない… 。

 今は十三時。本来十七時に迎えの船が来て神津島へ向かう予定だった。残りの四時間を潰す悦楽の遊戯を貴様に与えてやろう。

 セカテーの否定体系… 。今回の事件は正に、セカテーのパラドクスに似た要素があることに私は気が付いた」

 鋏と本宮は訳が分からないと言った表情で互いを見つめあった。

「セカテーは〈存在しない神〉と定義される〈神〉だ。しかしこの前提と結果は明確な矛盾を生んでいる。

 今回の事件も前提と結果が食い違う点がある。なんだと思う?」

 分からなかったので鋏は首を振った。

「手記だ。この三つの手記には一つおかしな点がある」

「佐津の手記を見る分じゃ、一つどころじゃないだろうが」

「… いいや、むしろあの手記こそ、三つの文書の内で最も理解できるもののはずだ。『超越者のための葬送曲』こそが最も連続的な手記だと言っていい。

いいか、まず前提条件としてこの三つの手記が本人によって、嘘偽りなく書かれたという条件を立てる。

何故このような前提が立てられるのか。まず各々の部屋に備えけられたPC は一度起動する際に、前回のシャットダウン前に記録した十桁のパスワードの入力を強いる。印刷機はPC の指示を経て起動する。つまり印刷をするためにはPC を起動、もっと言えばPC

機動のためのパスワードを知ってなければならない。アルファベットと数字で組み合わされた十桁のパスワードをランダムで当てられ

る可能性は限りなく低い。つまりほぼ間違いなくパスワードを設定した本人にのみ、印刷が可能であり、PC 内のソフトで手記を作成できた。プリントされた紙が予め、持ち込まれた可能性も排除していいだろう。先ほどそれぞれの印刷機の電源を入れてみたら印刷された時間だけは表示された。これこそが手記が、紛れもなくここで印刷された証拠だ。

 では他の人間が部屋に侵入してPC を悪戯に操作できた可能性はないだろうか。答えは〈無い〉だ。

 その理由は客室の構造に起因する。まず三人の客室の窓は鍵がかかっており、窓は推理小説によくある糸と針を用いたトリックを使

用できる規格では無かった。また仮に、窓を外から開閉できたとして、あの窓は回転式の窓で開閉角度が狭く設定されているため、小

さな子供ですら窓からの出入りが出来ない。

つまり犯人の部屋への侵入口は先ほど我々が破った扉である

 あの扉はカード式のオートロックだ。扉の下から糸を通すことが出来ても肝心のトリックを使用できない。故に犯人が侵入するためには、部屋内の本人に開けてもらうしかない。

 開けてもらったうえで、部屋の主を差し置いてPC を操作させたりするだろうか?あの手記には各々を侮蔑する内容があった。彼ら

がその手記を見られること、あるいは手記を偽造することをみすみす見逃したりするだろうか?あり得ないと言って差し支えないだろ

う。

 以上を以て前提条件を仮定する。

次に手記という結果に着目しよう。あれらの手記の内、明確に矛盾している、本人が書くとしても怪しい点が一つある。

 他の手記について凡そおかしな点は無い。本人たちも意図して矛盾点を作ったとは考えられない。

 つまりこの事件は〈本人たちが矛盾なく手記を書いた〉という前提と〈手記に生じた明確な矛盾〉という結果の食い違いが生じてい

る。

 これは一体どういうことか。前提と結果が異なるならば基本的に〈前提が間違っている〉〈結果が間違っている〉のどちらかだろう。

 しかし今回それを考えるつもりは無い。ならば他に何が考えられるだろうか… 。そう、前提と結果を意図的に歪めた、〈第三者の介在〉の可能性… 。」

「しかし、手記は本人が書いて印刷したって前提なんだろう?なら第三者を考えること自体がナンセンスじゃないか?」

「… そういうことでもないさ。三人の手記には他に矛盾点が見当たらなかった。恐らく本人たちは自分たちの思想、体験、見たものをそのまま書いていると考えて差し違えないだろう。だからこそ〈手記に明確な矛盾が生じた理由〉を考えてみろ。

次に〈それが可能だった状況〉を考えてみるといい。

すると瀧上と至美は連続殺人だったことが分かる。

「連続殺人⁉」

 鋏は驚いて大声をだした。

「… そうだ。

ヒントを与えてやろう。

 一つ目は犯人が部屋に侵入できたのは一度きりだということと、犯人以外の客室の出入りは無かっただろう、ということ。

 犯人はドアから入る際に、被害者にドアを開けてもらう必要があるということを思い出してほしい。

 つまり、被害者が生きていなければドアは開けてもらえない。客室はオートロックかつ鍵は一つだからな。カードキーを奪っていけ

ば二度目を考えられるが… 。先ほど私が調べた時カードキーは共にそれぞれの死体の服に入っていた。つまりこの可能性は考えなくて

いい。次に客室のドアには三十秒以上開けるとブザーが鳴るようになっているシステム上、本などをドアに挟んで、ドアストッパー代

わりにロックがかからないようにすることが出来ない。

 そして当然だが、犯人以外に侵入が可能だったのならもっと事件は早く発覚しただろう。

 二つ目は死体の死亡時刻と手記が印刷された時間だ。

 一見したところ至美流子の死亡推定時刻は大体朝の七時程度。このとき誰もダイニングにはおらずアリバイは無い。つまり、犯行は

誰にでも行えた。

 彼女の印刷記録は今日の朝六時十二分。起きてすぐ昨日の日記を印刷したのだろう。

 次に瀧上美那の死亡推定時刻は、おそらく十時半ごろ。

 印刷記録は九時半。朝食後部屋に戻った時に印刷したのだろう

 本宮、この推定で凡そあっているか?」

「… ああ、死後硬直から見てそうだろうよ」

「… 条件は与えられた。お前にこの問題の答えを出せるか?さあ答えてみろ、毒拶鋏」


問題、霧崎蛇九の言う手記の矛盾を指摘して、その原因を考え、本事件が何故連続殺人であることを説明せよ。また事件の犯人は誰か?





























4.紅き仔羊のアペタイザー_解答編 毒拶鋏


「手記の矛盾は… 、瀧上の二枚目の手記だ。まずそれまで瀧上は佐 津神機のことを佐津君と呼んでいるが、二枚目では神機君と呼んで いる… 。そこがまず気になった。」

「目の付け所として悪くはない… 、しかしもっと同ページには別の 点でおかしな点がある。」

「うーん… 。あっ、待てよ。瀧上美那の部屋は西側だったよな?そう すると〈窓の外を見ると美しい自然が広がっている。そよそよと揺 れる花。朝焼けで水面を紅く染める太陽。〉と言う部分は変だ。瀧上 美那の部屋からだと朝焼けの太陽は見えないはずだ。ここ、おかし くないか?」

「その通り。東側の部屋の人間なら気づき得るものだが、瀧上が書 くにしては妙だ。ではなぜこのような矛盾が生じたのか。」

「本人たちが正直に書いたという前提と矛盾が生じる結果… 。前提 と結果は正しいと考えるなら… 。あっ、手記自体は本人が書いたも のだが、手記が書いた本人の部屋にあったわけではない、というこ とか?」

「その通り。手記の入力に干渉できないのなら、手記の完成後に第 三者の操作が行われたものと考えるべきだろう。 つまり、瀧上の二枚目は瀧上の書いたものでは無い。

 では誰が書いたものか。候補は手記を書いた佐津神機と至美流子。 この内、東側の部屋にいたのは至美流子。そして佐津の手記とは、フォントが異なる点から、 瀧上の二枚目が、実は至美の二枚目だったと考えるべきだろう。

「そうなると、犯人が一回だけ部屋に侵入したことを考えると、至 美殺害時に手記を持ち逃げた。その後、服に至美の手記を入れた状 態で瀧上の部屋へ赴き、瀧上を殺害。おそらく瀧上の手記を見たと きに至美の二枚目を下に置いておけば、殺意の方向が〈瀧上→ 至美〉 だと思わせることが出来ると思ったのだろうな。そして部屋を出て からドア下から残った至美の遺書を差し込めばいい。

そうか、手記の交換をするためにはそれぞれの客室に入る必要が ある、事件当時、犯人以外の侵入が無かったことを考えると、至美と 瀧上は連続殺人なのか。

「では、それが出来たのは誰か」

「至美殺しは誰にでも出来た… 。瀧上の死亡推定時刻は確か十時半。 あの時、犯行を行えたのは… 、トイレに立った佐津とキッチンにい た本宮氏か。だが、どちらなんだ… 。」

「… 呆れた男だ。そこまで考えられたのなら答えは明白だ。玄関近 くのトイレからは館の構造上瀧上の部屋に向かえない。しかしキッ チンからは〈キッチン→ 女子浴場→ 瀧上の部屋〉へと回っていける。 従って瀧上の部屋に行けたのはただ一人、本宮だ。瀧上と至美が連 続殺人であることから犯人は本宮、ということとなる。」

  本宮を見ると、顔は真っ青で怯え切った顔をしていた。 



エピローグ1


「… が、本宮。何か言いたいことがあるのだろう?」

「そ、そうだ。あの時至美君が死んでいたから、瀧上君の殺害の容疑 者は、佐津君と私ということになった。だが、そうじゃない… 。この 島にはもう一人いるんだ… 。私の息子、天機が!」

「テンキ?」

「天の機械と書いて、天機… 。なるほど、妙だとは思っていた、この 館の主たる本宮龍園の部屋が中途半端な位置にあるのが。きっと本 宮の隣の部屋が彼の部屋だったのだろう。」

「おいおい、天機ってまさか… 」

「隠していて済まなかった… 。そうだ、天機は佐津神機の双子の弟 だ。佐津神機は別れた妻に引き取られた私の実の子供なんだよ… 。 神機はおくびにも出さなかったが、あれは正真正銘私の息子… 。」

本宮の言葉に鋏は驚愕した。

「じゃ、じゃあ天機君にも犯行は可能だったということか!」

「いや、神機にも可能だったんだ。神機と天機は一卵性双生児で見 わけが付かないんだよ。そして昨晩から天機が見当たらなかった… 。 だから朝、朝食を食べに来たのが、神機なのか天機なのか分からな かったんだ!」

「つまり、彼らが入れ替わっていた可能性があった、ということか。 なるほど今回『息子に会って、話し相手になってほしい』と申し出て きた割に、一向にそういう気配がなかったのは、天機が消えたこと と、天機と神機の入れ替わりが見抜けなかったからか。神機がお前 の息子かと、送ってきた写真で推測していたが、なるほどあれは天 機の写真だったわけだ」

「すまない… 。今回まさか君たちと一緒に神機が来るとは思ってい なかったんだ… 」

「まあいい、とりあえず島内を探して天機と神機を探すべきだろう」

 三人は島内で二人を探した。 数時間後、美しい青天の下、三人は島の先端に顔を焼かれた死体 があるのを見つけた。 その体格は佐津神機のものとそっくりだった。



エピローグ2


ぶううううううううううんんんんんんんんんんんんんんんんん んんぐんぐんぐんぐんんんんんんんんーーーーーーーーーーー ーーーーーーーんんんんんんんんんんんんんんん

知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚知覚 知覚知覚知覚してくれた。

霧崎蛇九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九


本宮龍園、いやあの忌々しい父親の予備のボートのお陰で脱出 できた。その点は感謝せねばなるまい。盗聴器が濡れずにすんだ。


これは「操り」だ。ほんの一瞬だけ、霧崎蛇九を操ることができた。 きっと手記を交換して、前提条件と結果の矛盾を示しておけば、 彼は必ずセカテーに結び付けて考えるだろう。 現に彼はセカテーのことを考えた。つまり私がほんの一瞬だけで も彼の思考を操った。人が人を支配できたのだ。

しかし流石、霧崎蛇九は本宮が隠していることがあることをす ぐに見抜いた。予想よりずっと早かった。今回は邪魔な至美、瀧 上、そして兄弟を殺すのが目的だったために、「操り」が雑だった。 次はもっと美しく彼を操り、殺そう。

しかしこれでやっと邪魔な兄弟を殺せた。

「操る」ことは好きだが、「操られる」ことは大のキライだ。

双子と言うものは、何か神秘的なものがあり互いの思考を読み 切る部分がある。互いが互いの顔を持っている。だが顔は一つで いい。あいつがいる限り俺の思考は常に読まれ、行動の先手を打 たれる。そんなことは阻止せねば。

故に⛆ンキを ゚ 殺さなければならない

→ 殺人完了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了了


しかし、俺はどちらを殺したのだろう?

天機?

神機?

俺は一体どちらになったのだろう。分からなくなってきた。

ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ、そうだ。

オレは殺人鬼だだだだだだだだだだだだだだだだだ

殺人鬼=murder

逆さに吊るせばred rum

紅き仔羊。

ぶううううううううううんんんんんんんんんんんんんんんんん んんぐんぐんぐんぐんんんんんんんんーーーーーーーーーーー ーーーーーーーんんんんんんんんんんんんんんん





5.伯父殺人事件_問題編 森林木木



城黒と共に私は事件現場の大邸宅へ徒歩で向かっていた。そこまで 遠いといえる距離ではなかったからである。

 一応説明しておくと、城黒は「探偵」「ホームズ役」と呼べる存在 であり、私は城黒の活躍を書き留める「記述者」ないし「ワトソン役」 である。それ以上の説明は必要ではない。

 ちなみに私の苗字は白馬である。

「この辺りに来るのは何度目だ、城黒?」

「おそらく、3度目なんじゃないかな。確か1回目の426日前の 事件は今日の現場の34件隣り、2回目の昨日の事件は今日の現場 の向かい。」

「34件隣りならばそれはこの辺りとは言わない。あと昨日の事件 でお前は現場に来ていない。電話で現場がどこか警部から聞いただ けだろ。つまり、お前がこの辺りに来るのは初めてだ。そうだろ?」

「分かっているなら、なぜ聞いたの?」

「君にとっての『この辺り』『来る』とは何かを問いたかっただけだ。」

「記憶力ではなく?」

「少なくとも君が自分自身で解決した事件の現場の場所ぐらいは覚 えていると僕は思っているよ… いつ行ったかはともかく。」

  いつも私たちの会話はこのような感じで始まる。


「で、探偵さん。事件のあらましは聞いておりますでしょうか。」

 私はあえて他人行儀に聞いてみた。いつもの常套手段だ。

「はいはい、分かりましたよ。まあ、あなたの知っている情報と大差 ないと思いますけど。」

  この対応もいつものことである。

「被害者はこの大邸宅の主人、坂間口安五郎。松中井グループの会 長だ。」

「まあ、会社名はさすがに聞いたことはある。でも松中井グループ なのに、坂間口が会長の苗字とはね。まあ、知らないのが普通なんだ けど。世間には一切発表していないらしいから。」

「僕も初めて知った。ちなみに資産は最低でも6億はあるね。」

「はあ?最低でもってなんだ?もっと持っているはずだろう?宝く じでも当たったのか?」

「そう、その宝くじに当たった。」

「いや待て。なんで金を持っているのに宝くじなんて買うんだ?当 たってもその当たった分は微々たるものだろう。」

「宝くじ以外の資産がどのくらいなのか知らないから、6億は微々 たるものなのかどうか分からない。でもまあ、運試しみたいなもの だったんじゃないか?知らないけども。買ったのは10枚の連番一 組だけだったらしいから相当な強運の持ち主だったことは間違いな い。」

「いやいや、少なくとも相当な額稼いでいる時点で強運なのは間違 いないんだから、宝くじを買ってまでして運試しをする必要もない と思うんだが。」

「まあ、それが今回の事件を引き起こしたのは間違いなさそうだか ら、彼にとっては悪運でしかなかった代物だろうね。」

「まあ、このような唐突なものが出てきてそれが事件に関係ないっ てことはないだろう。」

「まあ、それもそうでしょう。ひとまず事件概要の続きを。安五郎氏 はこの大邸宅の一室で亡くなっていた。まあ、その亡くなった部屋 っていうのがとんでもなく殺風景だそうで、机と椅子と証明器具と 様々な分野の辞書と掛け時計しか無いそうなんだよ。まあ、さすが に筆記用具ぐらいはあると思うけど… 電話で部屋にあるものを全て 聞くより、自分で見たほうがどう考えてもいいだろう… まあ、とに かく大邸宅の外見にしては殺風景な部屋だそうだよ。でその部屋の 中で、安五郎氏は撲殺されていたんだよ。さっき言った辞書によっ てね。何の辞書だっけ… ああそうだ、英和辞典だ。… ええ?そんなも ので殴り殺せるかって?… 成人男性なら無理だろうけど。安五郎氏 は御年83歳だからねえ… しかもカバー… カバーっていうの?あの 辞書を入れる紙の箱。それに入った状態で辞書が見つかったんだけ ど、箱には血がべっとりついていたらしいからねえ… えっ… 振り下 ろすときに箱から辞書が飛び出るから殴れないって?… 別に箱の空 いている部分の側を持てば辞書は飛び出さないよ、事実そのような 痕跡はあったらしいし… えっ… 今度は何?」

「その辞書いや辞書入りの箱といえばいいのかな。それは本当に本 物の凶器なのかい?」

「別にそれは僕の知ったこっちゃないよ。第一、事件発生の報を受 けて警部たちが現場についたのが今から一時間前だよ。一時間でそ こまで分かるわけないだろう?」

「分かった。分かったから続けて。」

 ひとまず私は城黒を収めた。

「次は犯人候補だ。これは3人に絞られているらしい。」

「いや、待て。さっき報を受けて警部たちがきて一時間と君は行っ ただろう。一時間じゃ絞り込むのは無理だろう。」

 さっきの仕返しと して私は言ってやった。

「確か、被害者が生きていることが確認されてから、遺体として発 見されるまでにあの部屋に入ることが可能だったのはその3人だけ だったらしいよ。詳しいことは知らないけど。」

「で、その3人というのは?」

「安五郎氏の甥が2人と姪が1人だそうだよ。名前は電話では話し てくれなかった。まあ現場に着いたらさすがに教えてくれると思う けど。」

「分かった。あと聞きたいことがあった気がするけども… なんだっ け?… ああそうだ宝くじが今回の事件を引き起こしたとか言ってい たけど。それはどういう意味?」

「ああ、それはね…… あとで話すよ。」

「はあ?」

 私は城黒の言っている意味が一瞬分からなかったが、すぐに了承 した。

  事件現場に到着したのだ。


 警部に案内されて私たちは事件現場の書斎を訪れた。しかし、そ の部屋は私が想像していた以上に殺風景な部屋だった。城黒の言葉 にあったように、机と椅子と証明器具と様々な分野の辞書と掛け時 計しかなかった。いや、そう言うと不正確か。机の上に何かがあった ようにテープが引かれてある。死体がこの部屋にあるという事実よ りも私はそのことが気になった。

  同じようなことを城黒も考えたのか警部に

「この書斎にあるのは目につくものでは、机、椅子、机の上の照明器 具と辞書、壁の掛け時計、そして、凶器とみられている英和辞典だけ ですが、他には?机の上には何かあったのでしょうか?」

「… 死体のことではないのですね。まあいつものことですから気に しないとして。机の上にはボールペンが3本とのりとこれです。」

 そう言って警部は封がされた封筒を取り出した。そこには

「遺言状… ですか。」

「ええ、まだ私たちも読んではいませんが… 、ちょっと失礼。」

  話の途中で警部はどこかに行ってしまった。おそらく電話だろう。

 そんな警部を目で追った後に城黒の方を向くと、城黒は遺言状を 開いていた。

「さすがにそれはまずいんじゃないか、城黒。封まで破って。」焦っ て言う私に対して、

「なるほど… 。被害者一人で書いたことの証明として筆跡と指紋の 鑑定はする必要はあると思うが、それさえクリアすれば有効になる 可能性は極めて高いな。」冷静に分析している。

「なになに… 私、坂間口安… 」文面を読み上げようとしたところで 案の定

「ああああああああああああああ!」警部の雄たけびが聞こえてき た。

「これは、自筆証書遺言ですよ!」警部はかなりご立腹の様子。

「ええ、知ってます。」

「ならば、裁判所での遺言書の検認が必要なことぐらい当然知って いるでしょうね!」

「ええ、まあ。」

「それまでは、開けてはならないということも?」

「まあ、はい。」

「なぜそれを知っていて開けたのですか!あなたは!」

「いや、さすがにこの状況下では裁判所よりも警察のほうが先に見 るべきでしょう。」

「まあ… それはそうかもしれないが… って論点をずらさない!少な くともあなたが開けていい理由にはならないでしょう!」

「でも、鑑識作業は終わっているようでしたので。しかも僕は手袋 ははめていますし。」

「それだけが幸いですね!少なくとも罰金は自分で払ってください ね!」

「肩代わりしていただけませんか?」

「払うわけありませんよ!」

 私も読んでいないのだから、自分ひとりで払ってくれ。

「で、警部事件の詳しい状況を教えてもらいたいのですが。」

  心なしかいつもより低調な姿勢に見える。おそらく気のせいだろ う。

「被害者は坂間口安五郎八十三歳、松中井グループの会長だ。この 部屋で撲殺された。」

「それは知っています。発見状況をお願いします。」

「はいはい、分かりましたよ。まず、最後に被害者が生きているのが 確認されたのが午後1時30分、より詳しく言うならば、午後1時 に被害者に書斎に来るように言われて来てみると、今から午後5時 までは遺言状を書くから午後5時までは部屋に入るなと念押しされ たそうだよ。妻、娘、甥二人、姪一人をこの部屋に呼んでね。ちなみ にこの時には机の上には照明器具と様々な分野の辞書のほかには何 もなかったそうですよ。この机には引き出しはありませんし、掛け 時計と椅子にも何かを隠せそうなスペースはありません。でこの時 娘がボールペン3本とのりと封筒と真っ白の紙を1枚持ってきたそ うですよ。あなたが取り出した遺言書も確か1枚だったでしょう? つまり、事件後にこの部屋から無くなったものは一つもありません。」

「ええ、しかし、被害者があらかじめ書き終えた遺言書を持ってい た可能性は否定できないのでは?それを誰かが外に持って行った可 能性もありますよ。」

「とすると、この遺言状は娘が持ってきた紙が入っているのではな いということを言いたいのですか?いやその可能性は低いですね。 被害者は何も持たずにこの部屋に入ったそうですから。もともとこ の部屋にあった?もしくは隠して持って来た?まあ、遺言状を調べ ればはっきりするでしょう。なにせ被害者が遺言状を書くために特 注したものらしいですから。精密な検査をすれば今日書かれたもの かどうか分かりますよ。なんでそこまでするのかって?城黒さんは 答えは分かっているのではないですか?」

 それには城黒は答えず、話を続けることを促した。

「で、被害者を書斎に残して、呼ばれた全員が部屋から出ました。こ の時娘がボイスレコーダーを落としたらしいですね。全員が出たの はおそらく午後1時32分ぐらいですね。監視カメラに午後1時3 5分に全員が写っていますから。」

「ボイスレコーダー?監視カメラ?」

「ああ、部屋の配置がこうなっていて、監視カメラがここに設置さ れていて、ボイスレコーダーがここに落ちていました。」

  そして警部はいろいろと私たちに教えてくれた。

「分かりました。つまり、被害者に全員が呼ばれた際には、監視カメ ラによって、午後1時にあの廊下に入った者全員が、午後1時35 分には全員出て行ったということが証明されたのですね。で発見さ れるまでにあの廊下に入ったものは甥と姪しかいないと。」 「そういうことです。まあ厳密にいえば死亡推定時刻内ですが。死 亡推定時刻は午後2時半から午後4時半までだそうです。で、1人 目が午後2時45分から20分間、2人目が午後3時15分から2 0分間、3人目が午後3時45分から20分間、あの廊下に入って いることが監視カメラから分かります。全員洗面所に行った、伯父 とは会っていない、と言っていますが。」

 そう死体を見ながら警部は 言った。

「なるほど、で、遺体発見の状況は?」

「午後5時になって、被害者に言われた通り午後1時に呼ばれた者 全員で来てみると、この状況だったというわけだ。明らかに死んで いたから、娘が警察に電話したというわけだ。」

「さすがに人が多すぎるので、偽装などは死体発見の時はできなか ったと考えて大丈夫ですか?また、遺体は動かされた形跡はなかっ たのですか?」

「ええ、どちらもその通りです。」

  私は城黒と警部の会話を口をはさむことなく聞いていた。

「では次に、容疑者候補の説明をお願いします、警部。」

「ああ、まず最初に廊下に入ったのが被害者の弟の息子、坂間口慎 吾だ。彼は普通の会社員で、妻と子供が一人がいる。ごく普通の家庭 だった。1年前までは… 。」

「というと?」

「彼の息子が1年前自転車で人を跳ね飛ばしたんだ。その人は一命 はとりとめたが下半身不随となってしまった。そしてそれの賠償金 として7000万円請求されたらしい。とても一般家庭が一度に払 える額ではないため、借金をするまでして払っているようだよ。そ れに伴い会社内での評価は急降下。うつ病も発症していたようなん だ。」

「当然、金に困っていたと。」

「まあ、そうだな。次に廊下に行ったのが被害者の妹の息子、萩原紋 吉だ。彼はフリーターなのだが、ギャンブル依存症でね。パチンコ、 スロット、競馬、競輪… まあ、ギャンブルと呼べるものなら、たいて いやっているらしい。まあ当然のことながら、借金を抱えていて、そ の額5000万円だそうだよ。まあすごいね。」

「かなりヤバめなところから借りているのでは?」

「だな。もうそろそろ返済期限らしく。かなりまずそうだった。」

「で、最後に廊下に入ったのは?」

「そう急かすな。被害者の妹… これは萩原紋吉の母親とは別人だ… の娘の大江田澄子だ。彼女は健康食品メーカー… 大江田食品… の社 長なのだが、そのメーカーは今、窮地に陥っている。業績悪化で今、 1億円の負債を抱えているそうだよ。つまり、倒産寸前だ。ただ従業 員の生活もあるから、倒産しようにも倒産できないらしい。」

「なるほど。全員金に困っていたと。」

  ここで、私は口を開いた。

「城黒、君は宝くじが今回の事件の原因とか言ってなかったか?そ れはどういう意味だ?」

 そう聞くと、城黒はなぜか笑っていた。

「ああ、それは僕も詳しくは知らないんだよ。電話でそう言われた だけだから。」

  じゃあ、何か知っていそうな雰囲気を出すな。

「では、それを説明しましょうか。宝くじが当たる前は被害者は遺 言状なんて作っていなかったんです。つまり遺産分配は民法の下で 行うつもりだったのです。しかし、宝くじが6億円当選したことに よって、なぜかは分かりませんが、宝くじの当選金額6億円を遺産 として甥や姪に残そうと思ったというわけなんです。それで、甥や 姪に1人2億円ずつ遺産として残す旨を遺言状に今日書くと午後1 時の時点で明言しているため、おそらくそのようなことが遺言状に は書かれているかと思われます。」

  最後の辺りが皮肉っぽく聞こえたぞ。

「なんでそんなことをしたのか理解に苦しみますね。甥、姪は程度 の差こそあれ全員が金に困っているのは分かっていたでしょうに。 遺言状を書いたとたん命を狙われますよ。少なくともそれを明言す る必要はないのではないですか?」

「そのようなことを私に言われても困る。金持ちは何を考えている のか分からないというのはいつものことだろう。」

  それは完全なる偏見ですよ。

「まあ、少なくとも今日殺されるとはさすがに思わなかっただろう な。あんな犯人が限定される場所で殺されるとは。まあ、見たとは思 うが、現場、隣の洗面所、そこに続く廊下には一切窓がない、つまり、 現場に行くには監視カメラの前を必ず通らなければならない。こん な犯人が限定、運が悪かったら特定されるような状況で殺されると はさすがに思わないでしょう。」

「つまり、これは突発的な犯行だと。」

「まあ、さっきも言ったように、こんな状況で殺人を計画的に犯す 馬鹿はいませんよ。それに凶器の英和辞典よりも… ええ、本物の凶 器だと断定されましたよ。… それよりかは丈夫なハードカバーの百 科事典を使いますよ。5000ページぐらいの。私ならば。英和辞典 はせいぜい2000ページぐらいのものでした。しかも百科事典は すぐ近くにありましたからね。そして被害者は一発しか殴られなか ったそうですからね。明確な殺意があったかどうか怪しいものです。」

「まあ、私もそう思いますけどね。こんなところで殺すより、強盗に 見せかけて殺したほうがまだいいでしょう。… この家は異様に監視 カメラが多いので覆面をするくらいの準備は必要でしょうが。しか し、少なくとも強盗に見せかけたほうがまだましなのは言うまでも ありませんね。だろう白馬?」

「同感。」

  会話から取り残されていた気しかしなかったので私はそうだけ言 って黙った。

「あと、伝えていない情報は何かありましたっけ?ええっと… 」

「ボイスレコーダー」

 さすがに忘れないでほしい。

「ああ、そうでした。お聞きになります?」

「ええ。」

「はい。」

そう言ったものの特段それと言った情報はなかった。


 事件に関係のある音声だけを簡単に説明すると

 まず、何かが落ちる音。そして4~5人ぐらいの足音が遠ざかる 音。

  私はここで質問した。

「最初の音は?」

「ああ、それはボイスレコーダーが落ちたときの音です。そのさな かに偶然電源が入ったみたいですよ。だから、正確には落ちる音の うち後半の音というわけですが。」

「普通に考えてそれしかないだろう。白馬。」

  そこまで言う必要はない。


でその後は同じような音の繰り返しだ。

近づく足音、ドアが開く音、ドアが閉まる音 その後20分弱した後にドアが開く音、ドアが閉まる音、遠ざか る足音。 これが3回あった。

「当然最初が、坂間口慎吾、次が萩原紋吉、最後が大江田澄江です ね。聞いた感じドアの音は全て同じ音に聞こえるのですが。」 「調べてみたところ、あの書斎のドアと洗面所のドアは全くつくり が同じものらしい。」

なるほど。開閉音も同じというわけか。


で4~5人の近づいてくる足音。そして悲鳴。乱れる足音。

「これが死体発見時ですか。」

「まあ、そうだ。」

「得るものは… ないですね。」

  事件に関係のあるものはこれで全部のようだ。

「あと何か聞きたいことはありますか、城黒さん?」

「3つだけ、まず甥、姪はそれぞれを知っていましたか?」

「いえ、全く知らなかったようですよ。名前っを教えてもいないよ うでした。今でも苗字さえ覚えていないようです。というより容疑 者全員が被害者と親戚関係にあるということをこの屋敷に呼び出さ れるまで知らなかったようですよ。あの松中井グループからなぜか は分からないけど、お呼びだしが来て行ってみたら、坂間口安五郎 という名の会長と親戚でした。しかもこの会長が死んだら2億円が もらえると、まあ、当然相続税はかかるんでしょうけど。でもまさに 棚から牡丹餅ですよ。」

「すると、当然遺言書に自分たちの名前が記されるということも知 らなかったわけですね。」

「ええ、午後1時にこの部屋に呼び出されたときにはじめて知った ようですよ、甥や姪だけでなく、被害者の妻も娘も。」

「なるほど、分かりました。では次に被害者はこの書斎に入る際本 当に何も持っていなかったのですか?」

「さっきも言ったように被害者は今日何も持ってきていませんでし たよ。」

「いや、そんな大きいものではなく、ポケットに入るような小さな ものです。」

「ああ、それでしたら被害者の娘に聞いておきます。彼女が今日の 被害者の服を決めたそうですので、何か持っていたり衣服に入って いたりしたら彼女が気づくはずです。そして、彼女は午後1時まで はずっと被害者と一緒にいたそうですから、その後に何か持ち物に 加わったことがあったら、彼女は分かります。」

「最後に、被害者は遺言状を書くのはこれが初めてですか?」

「そうらしいですね。これだけの富豪なのに、遺言状をつくるのは 今回が初めてらしいです。これだけですか?」

「一応、今はこれだけです。今後増える可能性もありますが。」

「じゃあ失礼しますよ。城黒さんに白馬さん」

「ええ、では。」

 いつのまにか死体は運びだされていた。


  数日後警部から報告があった。

 まず、筆跡と指紋の鑑定結果、そして遺言状が被害者がつくらせ た特注の紙であるという報告から、遺言状は被害者が事件当日の午 後1時半より後に書かれたことが確認された。

 第二に、被害者の娘に確認したところ、事件当日は被害者は何も 持たずに事件現場である書斎に入ったことが確認された。


 この二つの報告を聞いて、城黒は満足そうに笑っていた。

  そんな城黒を見て私は思わず尋ねた。

「君は犯人が誰か分かったのかい?」

「まあ、犯人のほかに嘘をついていないと仮定するならばね。ただ 君には分からない。」

  さすがの私もこの言葉には怒る。

「僕が君より劣っていると言いたいのかい、君は。」

 そんな私の形相に怖気づいたのか

「いや、そういう意味で言ったんじゃない。君は推理に必要なデー タを完全には得ていないんだ。一応君も大体の推理はできる。だけ ど完全ではないんだ。」

「じゃあ、そこの部分を補ってくれよ。」

  なぜか、城黒は押し黙った。そうした後に

「それは無理だな。言ったらほぼ答えだし、かといって見せること もできないし。」

「見せる?何をだ?」

「まあ、他の方向からいけるかもね。ちょっと待ってて。」

 見事に無視か。

 私がそんなことを考えている間に城黒はどうやら警部に電話をか けていたようだ。

  期待通りの応えが返ってきたのか、やたらうれしそうだ。

「期待通りだったよ。まず、被害者の体及び持ち物、衣服に汚れた痕 跡は一切なかったそうだよ。まあ、手に汚れた痕跡がなかったとい うことが一番重要だと言えるかな。」

「手?」

「次、容疑者たちの体、持ち物、衣服も容疑者たちが屋敷を出る前に 警察が徹底的に調べたそうだけど、同様に汚れた痕跡があったもの は一切なかった。そして、屋敷の中にも汚れた痕跡のあるものはな かった。また、屋敷中の窓、ドアは全て順次監視カメラで監視されて いて、容疑者たちが何かを屋敷の外に捨てたということもあり得な い。」

「どういうことかよく分からないけど、ひとまずその汚れたものと いうのがこの事件のキーになるということは分かった。」そう言うと

「いや、そうじゃない。これはあくまで可能性を否定するだけだ。」

「まあいい。ひとまずこれで僕にも解けるというわけだね。」

「そうだね。でも万全を期すためにもう一個。」

  その言葉の後に私は城黒に連れられて事件現場へと舞い戻る羽目 になった。

「で、何をするんだ?」

「ドアと足音さ。」

 そう言うと、城黒は事件現場の書斎のドアと洗面所のドアのドア ノブをガチャガチャと何回も開閉させた。その後そのあたりを歩き 回っていた。

「何をしてるんだ?」

  私がもう一度聞くと

「なるほどね。足音はボイスレコーダーに聞こえない可能性はある けど、ドアの開閉音はそうはいかないと。ドアを開閉させたらどち らのドアであっても開閉音は確実に聞こえると。」

  そして私の方に向きながら一言

「これで分かっただろう?」


読者への挑戦

坂間口安五郎を殺したのは誰か?

ただし

・探偵( 城黒) 及び警察( 警部) の言葉・報告及び地の文は全て正しい。

・犯人以外に嘘をついている人物はいない。( つまり犯人は、単独 犯であり、共犯者及び事後従犯はいない。また事件に関係ないにも 関わらず嘘をついている人物もいない。)

・この事件は現代日本で起こっており、探偵( 城黒) は現代日本にお ける一般常識・一般教養を知っている。

ものとする。

では。


























5.伯父殺人事件_解答編 森林木木


考えても分かるはずがない。正直に言って城黒の大体の推理はで きるという言葉の意味から分からなかった。そんな私の様子を見て いたためか、

「じゃあ、ヒント。僕と君とが得る情報に違いがあった場面はどこ?」

  少し考えてみるとすぐに分かった。

「君は遺言状の中身を見た。僕は見ていない。そこか?」

「そう。では次、そこから僕はなんと言ったか?」

「ええっと確か、『被害者一人で書いたことの証明として筆跡と指紋 の鑑定はする必要はあると思うが、それさえクリアすれば有効にな る可能性は極めて高い』だっけ?んん?有効 ・・ ?」

「そう、そこだ。さてこの場合、自筆証書遺言の場合という意味だけ ど、有効になる条件は?確か4つだったはずだけど?」

 何となく私にもわかってきた。

「まず、遺言者本人が自筆で書くこと。次に書いた日付を書くこと。」

「警部が遺言状がいつ書かれたのかを気にしていたのは、書かれた 日付を特定しておく必要があったからだと思うね。」

「まあ、そうだろうね。それは一旦置いておくとして、そして署名を すること。最後に、押印 を する こと 。」

「そう。ここでこの事件の話になるけど、被害者は間違いなく、事件 当日の午後1時半以降に遺言状を書いた。でも、あの部屋には印鑑 どころか朱肉 もなかった。そして、被害者は書斎に入る際に何も持 っていなかった。ということは?」

犯人 自身 の 印鑑 を 犯人 が 押した 、ということになる。」

「そういうことだ。では次の問題。誰が印鑑を押すことが可能だっ たか?」

「これは簡単。有効と認められるためには当然被害者と 同じ 苗字 の 印鑑である必要がある。そして、この事件は突発的に起こった。とい うことはあらかじめ同じ苗字の印鑑を用意していたのではなく、 たまたま 持っていたということだ。たまたま、持っている可能性があ るのは… 。」

「ただ一人、被害者の 弟 の 息子 、坂間口 慎吾 だけだ。なにせ苗字が同 じだからな。殺害時にたまたま持っていたとしても問題はない。」

「待て。それはいくらか早計過ぎないか?」

「いや、それがそうでもない。まず容疑者たちはこの屋敷に呼ばれ て初めて自分たちが坂間口という苗字の人物の遺産を得られるかも しれないということを知った。当然それまでに坂間口という苗字が 重要であるということは考えつかない。次に、招待された時点で何 かあると考えたとしても、松中井 グループから招待が来たんだから、 用意するとしたら松中井 の印鑑で坂間口の印鑑ではないだろう。会 長の名前は一般に全く知られていなかったんだから。この二つの点 からみても残りの二人が坂間口という苗字の印鑑を持っていたとい う可能性は否定できる。」

「OK。ただ、もう一つの可能性もあるんじゃないか?被害者が犯 人から印鑑を借りたという可能性だ。まあ、結果としては同じこと だが。」

「どちらにしても、犯人は坂間口の印鑑を持っている必要があるか らな。」

「一つ質問だ。被害者が何も持っていなかったということは示す必 要はなかったんじゃなかったか?仮に被害者が印鑑を持っていたと しても、現場になかった以上は犯人が持っている。そして持ってい て不自然ではないのは坂間口慎吾だけだろう?」

「いや、そうとも言い切れない。犯人が他人の持ち物に紛れ込ませ た可能性が残るからな。まあ、その場合はそのような申し立てが無 かったか改めて聞くつもりだったけどね。」

「厳密に考えるならばそうなるな。… ちょっと待て、これで推理は 完了ではないか?一応僕の知っていた事実だけからこの推理はでき る。新たに汚れたものとドアの音のデータを付け加える必要はない。」

 そこで城黒はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ああ、そのことね。実を言うと。さっきの推理はまだ不完全なん だ。」

「えっ?どこだ?」

押印 だよ。」

「はあ?」

「いや正確に言うならば自筆証書遺言 の 押印 と言うべきかな。」

「んあ?」

「実は自筆証書遺言の押印は実印認印 などの印鑑 じゃなくてもい いんだ。拇印 でもいいらしいんだ。」

「拇印つまり、指紋 に よる 押印 か!」

「少なくとも、僕は君に『被害者一人で書いたことの証明として筆 跡と指紋 の鑑定はする必要はあると思うが、それさえクリアすれば 有効になる可能性は極めて高い』と確か言ったはずだ。この言葉の 中での指紋は不自然な位置に被害者以外の指紋がなかったか、とい う意味で言ったんだけれど。まあ、僕のこの言葉からは押印が印鑑 でなされたか指紋によってなされたかの判断はつかない。」 「そこで、汚れた痕跡があったものの話ですか。」

「そういうこと。指紋で押印したならば、当然指に朱肉や墨の痕が 残る。まあ、この朱肉や墨は犯人が持っていたものだろうけどね。こ のような痕跡は無かった。犯人が拭い去った可能性もあるけど、容 疑者はその拭い去るのに使ったものらしきものを持っていなかった。 拭い去ったら汚れた痕跡がその拭い去るのに使ったものにもつくは ずだからね。現場周辺にもそのようなものは無かった。」 「なるほどね。ただもう一つ可能性もないか?被害者の指を洗った という可能性だ。ただ書斎に洗えるような場所は無かったし、遺体 も動かされた形跡も無かった。でも被害者が犯人から朱肉や墨を借 りて拇印を押し、その手を洗面所で洗ったという可能性はあるだろ う?」

「いや、その可能性はすぐに否定できる。」

「なぜだ?」

「忘れたのか?ボイスレコーダー だよ。あそこには被害者の生存が 確認されてから、被害者が遺体として発見されるまでには計6回の ドアの開閉音が記録されている。そしてこのドアの開閉音はボイス レコーダーにどうあがいても記録される。被害者が洗面所に行った とするとそれに加えて書斎を出る際と洗面所に出入りする際、そし て書斎に入る際の開閉音つまり計4回の開閉音が聞こえるはずだ。 犯人が書斎に入る際に被害者が書斎から出て、犯人が書斎から出る 際に被害者が書斎に入ったとしても、被害者が洗面所に出入りする 際の開閉音が聞こえるはずだし、そしてなにより犯人は書斎で被害 者を殺せない。まあ、犯人以外も嘘をついているという可能性を考 えたら、被害者が洗面所に行くことも可能だろうけど、今は嘘をつ いているのは犯人のみだと考えているからね。その可能性もない。 以上のことから、遺言状の押印は指紋によってなされたのではなく、 印鑑でなされたという結論になる。印鑑でなされたということはこ れが実行できたのは坂間口慎吾だ。つまり、犯人だけが嘘をついて いるとすると、犯人は坂間口慎吾以外あり得ない。」

「一つ確認したい。君が見た遺言状には間違いなく印鑑による押印 がなされていたのか?」

「ああ、きちんと坂間口という印鑑が押されていたよ。」

「じゃあ。君にとっては拇印の下りは無意味だったということか?」

「まあ、そういうことになるね。」



  その後、城黒は罰金を払い、坂間口慎吾が逮捕された。

 ただ、この逮捕は城黒の推理によってではない。

  警察はボイスレコーダーに記録されていたドアの開閉音を音響分 析にかけたらしい。その結果坂間口慎吾は書斎に入り、残りの二人 は洗面所に入ったということが分かった。耳で聞いた感じでは全く 同じに聞こえたのだが、詳しく調べてみると何らかの違いがあった らしい。

  坂間口慎吾は、坂間口安五郎の殺害と、遺言状に自分の印鑑を押 したということを認めた。殺害理由としては、洗面所と間違えて書 斎に入ったところ、被害者がなぜか激昂し、坂間口慎吾を遺言状か ら削除すると言った。そのことに関して言い争っているうちに被害 者を英和辞典で撲殺してしまったということだ。そしてわれに返っ たあと、机の上の遺言状を見てみると( まだ、封はされていなかっ た。) 全て自筆で書き終わっており、日付も署名もあった。しかし、 押印だけが無かった。押印が無ければ遺言状は無効だということは 知っていたため、印鑑を押そうとしたが、書斎には無かった。洗面所 にはあるとは思われなかったし、屋敷を探すには監視カメラの前を 通らなければならない。というわけで、自分の印鑑を遺言状に押し、 その場にあった封筒に入れ、その場にあったのりで封をしたという わけだ。不運なことに拇印でも可能だということは知らなかったみ たいだ。まあ、私も知らなかったから無理もないことではある。ただ それを踏まえたとしても自分自身の印鑑を押すというのはかなり危 ない橋を渡っているように今となっては思うのだが、そこまでして も金が欲しかったのだろう。


「そういえば、もう一つ警部に聞いていたことがなかったか?被害 者が遺言状を初めて書いたのかどうかってことを。」

「ああ、それは純粋なる興味だった。その時はね… 。」

 その時ってことは今は違うのか。

「しかし、残りの二人は幸運だね。遺産を自分たちが思っていたよ り早くもらえるなんて。」

  なぜかそこで城黒は悲しげな表情をした。そして

「まあ、他の二人が被害者の殺害を企てていた可能性は十分にある けど。それは置いとくとしてもそれはないだろう。」

「なぜだ?」

「坂間口慎吾が遺言状に自分で押印したと認めているからね。つま り 、押印は被害者の手でなされてはいない。遺言状の押印というも のは遺言を作成した者がしなければならない決まりだからね。被害 者が印鑑を押していないとするとこの遺言状は偽造されたとみなさ れることになる。そうなるとこの遺言状は無効になる可能性が極め て高いね。まあ何らかの裁判は起こされるだろうけど… 。そのまま 無効とみなされるんじゃないかな。で被害者は遺言状を他に作って いないから、当然民法にのっとって相続がおきるはずだけど、被害 者の配偶者も娘も存命だ。つまり… 。」

 それくらいは私にも分かる。

「甥と姪に相続権はない、つまり殺人を犯した坂間口慎吾だけでな く 、萩原紋吉と大江田澄子も一円も貰えない。ということは… 。」

「そう、甥と姪は全員破滅するのさ。」







6.待ちぼうけ_問題編 森林木木


待ちぼうけ待ちぼうけ

ある日せっせと野良かせぎ

そこへ兎が飛んで出て ころりころげた木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

しめたこれから寝て待とか

待てば獲ものは駆けて来る

兎ぶつかれ木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

昨日鍬とり畑仕事

今日は頬づえ日向ぼこ

うまい伐り株木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

今日は今日はで待ちぼうけ

明日は明日はで森のそと

兎待ち待ち木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

もとは涼しい黍畑

いまは荒野の箒草

寒い北風木のねっこ


北原白秋作詞・山田耕筰作曲「待ちぼうけ」より 



「見立て殺人はなぜ起こると思うかい?」

 突然私に城黒が聞いてきた。

「なぜって… 、パッと思いつくのは、見立てること自体に何らかの 意義を見出そうとしているから、何らかの隠したい痕跡があるから、 あとは捜査の攪乱ぐらいか?連続殺人に見せかけるというのもある か。突然なんだ?」

「いや、見立てるというのはおそらく最初のほうは犯人の異常性を 示すものだったのだろうな。」

「僧正とか悪魔の手鞠歌とかか?」

「まあ。ただそれはあくまでも最初の話で、最近じゃあ犯人が異常 だったから見立てたっていうのはミステリじゃあ御法度だろう?」 「さすがにそれはない。まあ、「異常」という言葉の定義にもよるけ ど。」

「あとは、捜査の攪乱目的っていうのもあんまり喜ばれない。」

「まあ、それはそうだろうな。」

「連続殺人事件に見せかけるというのも、孤島や雪の山荘みたいな 状況じゃないと起こらないだろう。警察が見立て殺人のことを部外 者に漏らすということはあり得ないし。」

「別にそれはよくないか?クローズドサークルものはいつだって書 かれているし。」

「現実での話だ。」

 いつ現実の話になった?

「となると見立て殺人の目的は、見立てることによって何らかの隠 したい痕跡があるためっていうのが大半だ。」

  ミステリ世界と現実世界をごっちゃにしてやがる。 ひとまずここは勝手にしゃべらせておこう。

「だけど、それくらいは探偵役ないしは読者も分かっている。とな ると見立て殺人をすることは、何らかの隠したい痕跡があると探偵 役ないしは読者に伝えるに等しい愚行なんじゃないか?」

 そうか?

「別にそうとも限らないだろう。基本見立て殺人はほぼほぼ連続殺 人と相場が決まっているから、どの見立てが何らかの痕跡を隠すた めの見立てで、どの見立てが装飾なのかを探偵役ないしは読者は推 理する必要がある。あるいは、そもそも読者がそのように考えるの を見越して、意味のない見立てっていうこともある。」

「意味のない見立てねえ。それで読者は納得するのか?」

「本格ミステリだったら納得しない読者もいるだろうね。ただ、見 立てた理由が「犯人が異常だったから」という可能性を否定できな い限り、少なくとも犯人当てには見立てた動機を推理に使うのは極 力避けた方がよいと僕は思うのだが。」

「というと?」

「まあ、見立てというのは装飾にすぎないというのが僕自身の考え だよ。見立ての動機なんてものは後付けで説明するようなもので本 質じゃない。」

「となると本質は?」

「さあね、時と場合による。」

「ふうん… 」

  城黒は納得いたのかは分からないけれども、この話題を切り上げ た 。

 というより私の質問に彼は答えていないのだが。

「なぜこんなことを聞いた?」

「まあ、ある種の予感ってやつだよ。」

「予感… ?」

 そんな中城黒に電話が来た。どうやら警部かららしい。

  予感… 。


どうやら電話は終わったようだ。

「もしかして… 」

恐る恐る聞いてみる。

「そう、見立て殺人があったらしい。「待ちぼうけ」のね。」



現 場はこの町に一つしかないウサギ園らしい。ウサギ園は私の家 から歩いて15分ぐらいのところにあるそれなりに大きいところだ。 確か園長の名前は白兎弥生。ウサギ園の園長がアリスの白兎と三月 兎に関連する名前だったからこれだけはよく覚えてる。

  ただ、城黒は知らないらしい。

「ウサギ園?この町にそんなのがあったのか?」

 興味もないらしい。確か私の家と城黒の家のちょうど中間にウサ ギ園はあったはずなのだが。

  まあどうせ現場で警部から聞くだろうから今話す必要もないか。

 そう言って他の話題を探す。

「そういや、昨日から今日の明け方にかけてすごい風だったな。」

「ああ、とんでもなく寒かった。北風ってあんなに強くなるのか?」

「… 。」

「… 。」

 なぜだろう会話が続かない。

 その後は無言のまま、現場に着いてしまった。


なるほど。確かに「待ちぼうけ」の見立てだ。

 遺体のそばには血だらけの切り株、兎の死体、そして凶器と思わ れる鍬。

「鍬はどこにあったのですか?」

 城黒が聞く。

「そこの倉庫ですよ。ちなみに鍵はかかってません。」

  なるほど確かに。ただ、倉庫と呼ぶにはあまりにも貧弱すぎる。な にせ金網でおおわれているだけで、ぱっと見は倉庫というよりゴミ 置き場に見える。中身も丸見えだ。

「最初から見立てる意思があったようですね。なにせすぐそばに もっと手頃な凶器がありますし。」と城黒。

  城黒の言う通り、すぐそばにはこれ以上ないほど的確な凶器があ った。鉄パイプだ。犯人はこのすぐ近くにある鉄パイプを使わずに、 鍬で被害者を殴り殺している。やはり、殺害する前から見立ての意 思があったようだ。そして言うまでもなく計画殺人だ。

 そして、遺体の隣の兎の死体。見た感じ外傷はない。

「見た感じ外傷はないように思えるのですが、この兎の死因は何で す?」

「解剖… 動物の解剖なんて実験だけだと思ってましたよ… しないこ とには分かりませんが、おそらく毒でしょうな。」

「まあ、そうでしょうね。」

 そっけない返答だ。

「それと城黒さん。遺体のポケットにこんなものが。」

警部は一枚の紙が入った袋を手渡した。

そこには一切ぶれや歪みのない字で


待ちぼうけ待ちぼうけ

ある日せっせと野良かせぎ

そこへ兎が飛んで出て

ころりころげた木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

しめたこれから寝て待とか

待てば獲ものは駆けて来る

兎ぶつかれ木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

昨日鍬とり畑仕事

今日は頬づえ日向ぼこ

うまい伐り株木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

今日は今日はで待ちぼうけ

明日は明日はで森のそと

兎待ち待ち木のねっこ


待ちぼうけ待ちぼうけ

もとは涼しい黍畑

いまは荒野の箒草

寒い北風木のねっこ


「いかれてますね。」

 それが私の感想だった。

「同感だ。」

「なめてるんですかね、警察を。」

「筆跡鑑定は?」

「まあしますよ。望み薄ですけどね。」

「書かれた紙と、筆記用具から何か分からないんですか?」

「見ての通り紙はただのA4 コピー紙ですからね、紙からは何とも。 筆記用具は鉛筆らしいということは分かってます。」

「用意周到だ。それじゃあ何にもなりませんね。」

  皮肉だ。 それにイラついたのか警部は

「これでも、容疑者は3人まで絞れているんですよ。」

「3人?どういうことです?」

「この兎の死体ですよ。」

「へ?」

「実はこの兎、被害者の園長の一番のお気に入りの兎で、この兎だ けのために建てられた兎小屋があるんですよ。名前はウサギの小屋。」

「被害者ってこのウサギ園の園長だったんですね。ともかくただの 兎小屋ですね、要するに。」

 また警部はイラついた。

「このウサギっていうのはこの兎の名前ですよ。夏目漱石が飼って いた猫の名前もネコですし。」

「はあ。」

 こいつ知らないな。

「まあ、ともかく、この兎はそのウサギだったわけなんですが、この ウサギを現場に持ち込めたのは3人だけなんですよ。」

「どうしてそのようにいえ」

「言われなくても説明しますよ。実は午後7時にこのウサギの小屋 に被害者と容疑者3人が入って餌をあげてるんです。あんまり食べ なかったのですぐに餌は片づけたらしいですが。まあ、いつも餌を あげる時間よりかなり早かったらしいのでそんなに食べなくて当然 ですね。まあこの時ウサギは生きていた。これは間違いない。いつも なら、被害者が午後11時にもウサギの小屋に行くらしいですが、 もうそのころには被害者は死んでますね。まあともかくその後、ウ サギの小屋に入って餌を食べれずに空腹であろうウサギに毒入りの 餌をあげることが可能だったのはこの3人なんです。」

「だからなん」

  城黒を無視して、警部は見取り図を私たちに見せた。

「実は、この監視カメラがウサギの小屋の方向に向かった人物を全 員とらえているんですよ。」 そう言いながら警部は見取り図の上のほうの監視カメラを指さし た。

「このカメラには最後にウサギが生きているのが確認された午後7 時から被害者の死亡推定時刻… 言ってませんでしたっけ?昨日の午 後9時から午後11時の間です… の前つまり午後9時ですね… まで にこの監視カメラの前を通ったのが三名確認しています、ちなみに 全員アリバイは不完全ですね。」

「そのあたりをもっと詳しく。」

  どうやら機嫌は直った。

「まず、最初に監視カメラの前を通ったのは睦月という従業員です。 午後7時半にウサギの小屋があるエリアに入って午後7時40分に 出ていますね。で次に映ったのは如月、午後8時半に入って午後8 時40分に出ています。最後に卯月が午後8時45分に入って午後 8時55分に出てます。この三人は午後9時から午後10時の間は アリバイはありませんが、午後10時から午後11時の間は管理室 に一緒にいたというアリバイがあります。ちなみに、午後11時か ら遺体発見の午前1時までのアリバイも無いですね。監視カメラに 映っていない間は全員外にいたと考えてもらって大丈夫です。管理 室は午後7時から午後10時、午後11時から午前1時は無人です ね。ああ偽証の可能性は無いです。この三人とんでもなく仲が悪い ようで。そもそも監視カメラがありますしね、管理室には。」

「三人ともアリバイが無い間は何してたんです?」

「どちらもウサギの小屋ではなく、違う兎小屋に行っていたと。ア リバイのない時間帯は別々の兎小屋… 睦月は兎小屋3、如月は兎小 屋4、卯月は兎小屋5にそれぞれ行っていて出会いはしなかったよ うです。」

「何か、大きいものが入る袋を持っていませんでしたか?監視カメ ラに映る際?」

 またキレた。

「なめてもらっちゃあ困ります。全員持ってましたよ。大きなリュ ックサックをね。一応調べてはいますが痕跡は無さそうですね。ど うもウサギの死体はビニール袋に入れてからリュックサックに入れ たらしいです。」

「そのビニール袋は?」

「昨日の夜から今日の明け方の天気を覚えてます?とんでもない暴 風でしたよ。そんな中で捨てたら風でどこかに飛んで行ってしまい ましたよ、きっと。一応探しはしますがね。まあ期待はできないでし ょう。」

「はあ。」

 機嫌がいいのか機嫌が悪いのか分からない。

「で動機は?」

「まあ、この園長はとんでもなく兎というものが大好きでしてね。 まあ、他の従業員も兎というものが大好きなのでこのウサギ園で働 いているそうなのですが、ちょっと園長は度が過ぎてましてね。」

「というと?」

「前、ここでもう一人働いていたんですけどね、確か名前は… 。」

「弥生でしょう?」

「違います。水無月です。弥生は被害者の名前です。」

「へ?」

「白馬さん、城黒さんにいろいろと教えてあげてください。」

「はッ。後で必ず。」

「えー、どこまで言いましたっけ?ああそうだ。水無月という従業 員がいましてね。この水無月さんがいた時はまだそこまで従業員の 仲は悪くなかったそうですよ。ただ水無月さんは園長にこのウサギ 園を辞めさせられましてね。それで従業員たちの仲は最悪になった。 しかも水無月さんは辞めさせられた後もひどい精神攻撃を受けてい たそうなんです。」

「そりゃまたどうして?」

 ここからは私が受け答えするか。一応城 黒も聞いてはいる。

「水無月さんは仕事で些細なミスをしてしまったそうなんです。い や、ミスと言えるかも怪しい。」

「何があったんです?」

「彼女、水無月さんのことですね、兎を、園長お気に入りのウサギじ ゃなくて、普通の兎小屋にいる兎です、逃がしてしまったそうなん です。5分後に外傷もなく見つかったそうですが。」

「まあ、外傷が無かったなら別にいいじゃないですか。」

「他の従業員もそう思ったようですね。園長以外は。」

  いやな予感がする。

「園長は水無月さんに対し、お前が悪い、お前のせいだといったよ うな罵詈雑言を散々ぶつけられ、あげくの果てには解雇通知を突き 付けたようですね。他の従業員が止めたり、警察に相談したりした そうですが、水無月さんの依願退職みたいな形になったそうですね。 あくまでも形だけですけど。」

「ただ、それでは終わらなかったと。」

「毎日のように園長は電話して、同様の罵詈雑言を浴びせたそうで す。時には家に押しかけて。」

「他の従業員や警察は気づかなったんですか?」

「退職したあとのことは全部遺書の内容です。」

「遺書… 。つまり… 。いや聞かないでおきます。」

「一昨日見つかったそうですよ。ちなみに第一発見者は同じくこの 事件の容疑者全員。遺書の内容も全員知っています。」

 別に聞いていないのに。

「訴えなかったんですか?」

「今となってはもう遅いですよ、そんなことを考えるのは。」

「しかし… 。」

「分かってますよ、それくらいはいくら私でも。」

 それ以上聞ける雰囲気ではないな。 そんな中城黒が

「水無月さんと容疑者たちの関係は?」

  雰囲気分かっているのか?まあ今の場合はいいか。

「睦月は水無月の親友です。そして卯月は水無月の彼氏ですね。た だ彼氏にも退職後の園長の罵詈雑言は話していなかったようですね。 如月は表立った関係はないんですが… 。」

「ひそかに思いを寄せていた可能性はあると。」

「人の思いなんてものは分かりませんからね。こればかりはどうに もなりません。」

 まあ、そんなもんだろう。すると城黒が

「いろいろと見ておきたいですね。このウサギ園見て回っていいで すか?」と聞いてきた。

  これに対して

「どうぞどうぞ。」と警部は快諾していた。

  まあ、私もこの雰囲気は嫌いだからこの提案はありがたかった。



 まず、私たちはウサギがいたウサギの小屋に行ってみた。

  小屋とは言ってはいるが、金網で囲まれているので外から丸見え だ。他の兎小屋も全部このような感じなので、正直に言ってウサギ の小屋と他の兎小屋の違いはよく分からない。

  城黒も何か探しているそぶりだったが、何か見つけたようだ。

「見つけたよ。」

「何を?」

「そこだよ。」

 城黒が指さしたところには、何やら吐しゃ物と見られる塊があっ た。

「ウサギが毒殺された時のか?」

「さあな。一応警部に報告するぞ。」

 警部に報告したらすぐに鑑識が入った。こういうのって鑑識がす るのか?

「ここにはもう何もなさそうだな。次行くぞ。」

 ああそうかい。

 次に兎小屋1から兎小屋5まで一つずつ調べて行ったが何も無か ったようだ。私としても兎がたくさんいる以外はウサギの小屋と全 く変わらなかったので、見てるこちらも退屈だった。

「次は監視カメラだ。」

 そう言いながらも、途中で三人の容疑者とも出会ったので話をし たが、判で押したように全員同じ答えが返ってきた。

 被害者についてどう思うか?― 兎が好きすぎる人です。このウサ ギ園に住んでいるほど。それはいいとしてそれが度が超してるので、 兎好きな私も正直に言って好きではないですね。

 兎は好きかーええ、もちろん。

 「待ちぼうけ」の歌で何か思いつくことはあるかー兎が死ぬ歌な ので、聞きたくはない歌ですね。思いつくことは何もないです。       第一発見者になったそうですねーええ、いつも午前1時ぐらいま でここから一歩も出ずに働いて、ウサギ園から出るときは園長に挨 拶をしないといけない決まりなんですが、見当たらなかったので三 人で探している中で見つけました。

  城黒は何かを得たようなそうでもないような何とも言えない表情 でそれらの証言を聞いていた。

「何か得たか?」

「何とも言えないな。」

 次は監視カメラだ。

  まず駐車場にある監視カメラだが、これには何の変化も映って無 かった。死亡推定時刻どころかウサギが生きているのが分かった午 後7時から遺体が見つかる午前1時まで誰も何も映っていなかった。 車は当然映っていたけど動く気配というのが全く無かったのだ。

  次に管理室にある監視カメラだ。確かに午後10時から午後11 時までは全員管理室内でテレビを見ていてアリバイは確実。動きと 言えば、睦月が事件現場が見える窓の近くに10分ほど行った、如 月が洗面所に10分ほど行った、卯月がウサギの小屋が見える窓に 10分ほど行ったぐらいか。窓は鉄格子がはまっていて開かないし、 洗面所にはその窓さえない。別に怪しい素振りもない。

  最後のそして一番重要な監視カメラである、ウサギの小屋への道 を映すカメラは隣の家のカメラだった。そしてかなり目視しづらい 場所にあったため犯人は映っているということに気づかなかった可 能性が高い。しかし、こちらは警部が言っていたこと以上の収穫は 無かった。全員大きなリュックサックをもっていて中に何が入って いるかはさっぱり分からない。気づいたことと言えば、如月と卯月 が手押し車で何かを運んでいたことぐらいか、たぶん中に入ってい るのは土か?

「ウサギは別に土で汚れてなかったよな?」

「ああ。」

 じゃあ無関係か。

 一通り調べ終わって現場に戻ってくると何やら容疑者である従業 員たちが兎に餌やりをしていた。どうやら市販の餌ではなく、自分 たちで手作りの餌らしい。まあ、それもそうか。

  城黒はその光景を興味がありそうなまなざしで見ていたが、その うちに近づいて話をしていた。私も加わるか。

「ウサギの餌って何なんです?」

「企業秘密です。まあ、他の兎の餌は市販ですけど、ウサギの餌だけ は手作りってことは教えておきます。兎を飼うご予定でも?」と一 人目の従業員。

「いいえ、特に。お前は?」

「ない。」あるはずがない。

「はあ、そうですか。」

「餌はいつも園長があげてるんですか?」

「ええ、私たちがルーティーンでつくっているんですけどね。あげ るのはいつも園長ですよ。どうも園長はそのあたりも厳しくて、自 分以外がウサギに餌をあげると、内緒にしていても必ずばれました ね。なんででしょう?」と二人目の従業員。

「ええ、それで昔私が内緒でウサギに餌をあげたことがあったんで すけど、園長にすぐにばれました。それ以来内緒で餌をあげようと する従業員はいませんよ。ねえ?」と三人目の従業員。

  無言で頷く残りの二人。

 なるほどな。それを知りながら犯人は内緒で餌をあげたってこと は、園長を殺害する意思があったってことだ。園長を殺す意思が無 かったら、たとえ無害な餌でも、園長にばれてしまうからウサギに は与えやしなかっただろう。園長を殺害する意思があったからこそ 犯人は内緒で餌をあげるという行為ができた。

 そういえば、最初に聞いた時も今もこの従業員たちつまり容疑者 たちの名前を聞いていない。というか今に至ってはどの顔が何を話 していたのかも覚えていない。

  まあ、いいか。


  思えばこのウサギ園も変な施設だ。このウサギ園は駐車場を含め たら長方形の施設なのだが、駐車場を除いたらL字型になるのはい いとして、そのL字型の部分全体が高さ2メートルはある壁におお われている。そういえば兎小屋5と遺体発見現場の間にも壁があっ た。しかも壁のへりには高圧電流が流れる有刺鉄線がある。外に出 るには遺体発見現場と駐車場の間の壁にあるドアを通るしかない。 まるで厳戒態勢の美術館ではないか。しかも中にいるのは兎だけ。 被害者のある種の狂気じみた執念が見え隠れしている。

  その割には兎を金網の小屋に入れており、兎のことをよく考えて いるとも思えない。兎が好きなのか、兎が好きな自分が好きなのか、 どっちだ?考えれば考えるほどよく分からない人だこの被害者は。

  そんなことを私が考えている間に警部が来ていた。

「えー、まずウサギの死亡推定時刻は昨日の午後7時から午後9時 の間です。死因はヒ素中毒と思われます。ああ、ウサギの小屋で見つ かった吐しゃ物でウサギの餌にヒ素が混じっていることが分かりま した。まず、あそこで殺したとみて間違いないでしょうね。では、私 はこれで。」

 警部は期待していないのかいつのまにか去っていった。


何か忘れているような気がする。ああそうだった警部から城黒に いろいろ教えてくれって言われたんだった。

「城黒、何が知りたい?」

「急にどうした?あああれか警部から言われたやつか。別に聞きた いこと?特にない。」

「被害者のこと何も知らなかったくせに?」

「それはシンプルに知らなかっただけだ。」

「そういうのを教えろと警部に言われたんだ。分かった、勝手に被 害者のこと言っておくぞ。名前は白兎弥生48歳女性、このウサギ 園の園長だ。オーナーは別らしい。そし… 、どうした城黒?」

「もう一度。」

 珍しく話を遮る城黒。

「ああ、名前は白兎弥生48歳女性、このウサギ園の園長だ、ちなみ にこの施設が「ウサギ園」という固有名詞だからな。それで… 。」

「もういい。」どうやら何かに気づいたようだ。さっぱりわからない が。

「どうした?」

「ちょっと考えさせてくれ。」

  そう言ったきり城黒は15分ほど押し黙っていた。そして一言、

「犯人が分かったかもしれない。」

  なんか歯切れが悪い。

「歯切れ悪いな。」

  私は正直に言ってみた。

「まあ、そりゃそうだ。僕の推理はかなり心理的な面によってるか らね。」

「まあ、納得できればよしとしようか。」

「ああそうか。まあこの推理自体は四つぐらい前提条件があればお そらく完璧だろうね。」

「前提条件というと?」

「一つ目、この事件は単独犯であること。」

「まあね。大概そうだろ。」

「二つ目、犯人は合理的な行動をし無意味な行動はしなかったこと。」

「まあ… 。そうなんだろうね。」

「三つ目、犯人が被害者を殺害しようと決意した時点で、現場の状 況… つまり、切り株の近くで被害者を鍬で殴り、ウサギの死体をそ ばに置き、被害者のポケットに「待ちぼうけ」の歌詞を入れる… って いう見立て殺人の意思があったこと。」

「まあ、いいんじゃないか?」

「四つ目、これが一番重要でかつ怪しい条件なんだけど… 。」

  やっぱり歯切れが悪い。

「早く教えてくれよ城黒。」

「ああ、分かった。四つ目、被害者も容疑者たちも全員兎が大好きだ ということ。」

「は?」

「ミステリ的に言えば、」

「ミステリ的?」

「彼らが兎を殺すはずがない」


読者への挑戦

求める解答は二点

・白兎弥生を殺した犯人は?

および

・見立ての動機は?

前者は先に挙げた4つの前提条件からおそらくは導き出せる。

し かし、後者はイマジネーションの力で爆破することが必要不可欠で あろう。

まあ、そもそも動機当てなどナンセンスであるので、後者は別に 気にしなくてもいいのだが… 。


























6.待ちぼうけ_解答編 森林木木


「それは何かの比喩か?」

 ちょっとよく分からない。

「比喩?比喩ではないかな。結果的には。」

「結果的?」

ますます分からない。

「まあ、今から説明するよ。」

「どうぞ。」

ご勝手に。

「調子狂うな。まあいいか。まず現場に入った時に軽い違和感があ ったんだ。」

「違和感?」

「ウサギが毒殺されていたことだよ。待ちぼうけに見立てるなら毒 殺よりも撲殺のほうがふさわしいだろう?」

「それは、普通に説明がつくだろ。撲殺よりも毒殺のほうが何かと 都合がいいじゃないか。少なくとも動き回るウサギを殺すには。」

「それは僕にも分かる。ただ、殺したあとに殴ることもできるはず だろう?」

「それはお前が言っていたじゃないか。容疑者が兎好きだって。だ から残酷なことが出来なかったんじゃないか?」

「僕もそう思ったよ最初は。ただ事件そのものも変だ。見立て殺人 という計画殺人なのに、犯行可能なのはウサギの小屋の監視カメラ の映像がなくても、入口は一つしかないし、それも監視カメラで監 視されていたわけだから、犯人は容疑者三人に絞られる。こんな状 況で計画殺人をやる必然性はなんだ?」

「はあ。」

「聞き込みをするほど違和感は増大したよ。兎が大好きな容疑者た ちが、果たして兎を殺すだろうか?ただ、見立てのために仕方なく という可能性を否定できなかったんだよ。お前の言葉を聞くまでは。」

「僕何か言ったか?」

「まあ、僕が知らなかっただけだけど。被害者の名前を教えてくれ ただろう?あの時だよ。」

「名前?ああ… 。なるほどね。」

「そう。被害者の名前は白兎弥生。被害者を切り株の近くで殴り殺 して「待ちぼうけ」の紙を被害者のポケットに入れてしまえば、 が 死ぬという「待ちぼうけ」の見立ては完璧じゃないか。ウサギを殺す 必要はない。兎が大好きな容疑者たちは特に。」

「そうなるのかなあ。」

「前提条件で言ったじゃないか、彼らが兎を殺すはずがないって。 見立てのために殺すということはあり得ないとも言えないけど、必 要もないのに彼らが兎を殺すという無意味な行動をとるはずがな い。」

「つまりどういうことだ?」

「ウサギは見立てのために殺されたのではないってことだ。」

「それは分かる。」

「まあ、さすがに話の流れから分かるか。じゃあ見立て以外の理由 となるとさっぱり思いつかないんだなこれが。」

「は?」

「そうさっぱり思いつかないんだ。兎好きな彼らがウサギを殺す理 由が。」

「何を言っているのですかあなたは?」

「そうキレるな。そう。兎好きの彼らがウサギを殺すはずがない。こ れが僕の推理の出発点だ。これを変にいじくりまわさずに譜面通り 受け取ればいい。」

「譜面通り?」

「つまり、彼らのなかにいる犯人はウサギを殺していない。」

 さすがにいかれたか?

「待て。実際問題ウサギは死んでいる。これをどう説明する?」

「何も兎が毒を食べて死ぬのは何も殺された場合だけじゃないだろ う?」

「一応はね… 。」

事故 だった んだよ。ウサギが死んだのは。容疑者たちが無類の兎好 きだっていう前提条件のもとでは。」

「まあ、今はそういう前提で話しているからよしとするか。」

「そう。言葉通り彼らが兎を殺すはずがないんだ。」

「それでどうなる?」

「三つ目の前提条件を覚えているか?」

「ああ。確か犯人が被害者の殺害を決意した時点で見立て殺人にす る意思があったことだっけ?」

「もうちょっと正確に、犯人が被害者の殺害を決意した時点で、切 り株の近くで被害者を鍬で殴り、ウサギの死体をそばに置き、被害 者のポケットに「待ちぼうけ」の歌詞を入れるという見立てを行う 意思があったことだ。」

「何が違う?」

「大ありじゃないか、今では。さっき言ったように見立て殺人を行 うのにウサギの死体は必要ない。兎好きな彼らなら特にね。そして、 ついさっきウサギの死は事故だったと結論付けた。つまり、犯人が 被害者の殺害を決意した時点でウサギの死体を犯人はもう見つけて いたってことになる。」

「それがどうした?」

「確かにな。鍬の場所は丸見えだし。ウサギの死体はもう見つけて いるし。ただ、もう一個あるだろう?」

「「待ちぼうけ」の歌詞が書かれた紙か?」

「そう。あれを用意する必要があったわけだ。最初から言っている ように彼らは兎好きだから、あんなものを殺害を決意する前に書い ていた可能性はないと言ってしまっていいだろう。なにせウサギが 死ぬ歌だからな。彼らは空想上でも兎を殺すはずがないんだ、普通 の時ならば。言うまでもなく被害者があらかじめ書いていたという 可能性はゼロだろうね。異常なほど兎が好きなんだから。」

「じゃあ。なぜ書けた?」

「「待ちぼうけ」について聞いた時容疑者たちは兎が死ぬ歌って言っ てなかったか?逆に言えば「待ちぼうけ」は兎が死ぬ歌ってことは 知っていたってことだ。それだけ知ってればあとはググればすぐに 歌詞なんて出てくるさ。」

「確かにね。ただそれがどうした?」

「おいおい。もう犯人は分かるだろう?」

「分からん。」

「ヒントは「待ちぼうけ」の歌詞にある。」

「焦らすな。」

寒い北風 だよ。」

「え?」

「お前も僕も警部も言っていたじゃないか。昨日から今日の明け方 にかけてはものすごい北風だったと。」

「風?ああそういうことか。」

「お前もやっと分かったか。駐車場の監視カメラによれば誰もウサ ギ園から出ていない。つまりあの歌詞はウサギ園のどこかで書かれ た 。」

  私が引き継ぐ。

「そして書いた場所は管理室に限られる。なぜなら外は暴風が吹いて いた 。そんな中あんな一切 ぶれ や 歪み の ない 字 は書けない。ウ サギの小屋でも兎小屋でもこれは同じ。なぜならどちらも金網 で囲 まれているから。金網で囲まれているだけじゃあ風は防げない。

「そう。でも管理室の監視カメラにはほとんどテレビを見ている姿 しか映っていない。窓のそばに動いた人もいるけどとくに何かを書 いた様子もない。となるとどこで書いたのか?一か所しかないな。」

洗面所 だな。」

「そう。でウサギが生きていた午後7時から遺体発見の午前1時ま での間に洗面所に入ったのは一人だけ。如月 だ。」

「なるほどな。いいたいことは山ほどあるが。」

「さっき言った4つの前提条件を考えるならば、犯人は如月だ。」


「何かあるか?」

 一通り終えた城黒は私に聞いてきた。

「大量に。そもそもなぜ見立てを行ったんだ?」

 少し困ったような顔をする城黒。

「ここからは、今まで以上に僕の想像に頼る。それでもいいか?」

「これまでの推理もだいぶ想像に頼っていたから全く問題ない。」

「まあ… 。それはそうだな。わざとらしい前提条件を4つもつけた らそれは推理ではなく想像だ。ただそれ以上に漠然とした話になる。 それでもいいか?」

「OK。」

「分かった、続ける。ただ僕はこれから断定みたいな口調になるが ここから先の話はさっき以上に仮定の話だ。それだけは念頭におい てくれ。」

「分かった。」

「僕は見立ての動機は、ウサギ が 事故 で 死んだ こと を 隠す ため じゃ ないかと考えている。」

「事故で死んだこと?何でそれを隠す必要があるんだ?」

「ウサギが事故で死んだことが、そのまま被害者の殺害動機につな がるからだよ。そしてその殺害動機がそのまま犯人を指し示すと犯 人は考えた。」

「?」

「説明するよ。言われなくても。さっき説明したようにウサギが死 んだのは事故だ。吐しゃ物も現場にあっただろう?それで事故だと 犯人は確信できるだろうね。毒による死だと確信できたかどうかは 分からないけど。でもまあ・・・事故だと確信できたはずさ。理由は あとで話すよ。ここで水無月さんの話を思いだしてほしい。」

「辞めさせられた従業員か?その自殺が今回の動機ってことか?」

「いや、僕の想像では違う。僕が重要視しているのは、自殺じゃなく て辞めさせられた原因だ。」

「辞めさせられた原因?確か兎を逃がしたことだっけ?5分だけだ けど。それで辞めさせて、罵詈雑言はひどいよな。」

「そう。兎を5分逃がしただけで園長はそれだけの「罰」を与えるん だ。そう考えると、園長の一番のお気に入りのウサギを事故とは言 え毒で殺したと分かったら、園長はどんな対応をする?」

「… 。まあ、社会的に抹殺されるのは確実だろうな。」

「そう。それを犯人は恐れた。だから園長を殺したんじゃないかと 僕は考えているよ。これで計画殺人なのに容疑者が限定されている という違和感も解消されるだろう?」

「え?」

「いつも園長は午後7時のあとは、午後11時にウサギの小屋に行 っていた。とすると犯人はウサギの死体を見つけてからから、園長 がウサギの死体を見つけるまでに園長を殺さなきゃいけなくなる。 園長にウサギの死体を見つけられたら、一巻の終わりだからね。だ から容疑者が限定される状態で計画殺人をしたってわけ。」

「待て。一時的に隠しておけばいいじゃないか。」

「できないだろうそれは。園長は兎に関することは狂信的だ。大事 なウサギがいなくなったら文字通り血眼になって探すだろう。そし てウサギ園の出入り口は一か所しかないし、そこはいつも見張られ ている。ウサギに2メートルの壁は飛び越せないんだから、出たと なると出入り口しかない。しかもそこは1時までは普通なら誰も出 てこない。ウサギ園の中にウサギがいないと分かり、 かつ出入口にウサギの姿が映っていなかったら、ウサギ園からウ サギの死体を運び出す際の姿が監視カメラに映っているため、誰が ウサギを「拉致」したかは一目瞭然だ。かといってウサギ園に残した ままだとすぐに死体が見つかる。」

「投げればいいじゃないか。壁の向こうに。」

「最初に言わなかったか?彼らは兎が大好きだ。死体であれ、乱暴 には扱わないさ。事実ウサギの死体は殴られていなかった。そうし たほうが見立てという意味ではいいのに。」

「なるほどね。犯人は事故でウサギが死んだことを園長に隠してお きたかった。しかし、死体を隠そうにも行方不明になったと知られ ただけで首が飛ぶのは確実。なので殺したというわけか。待て。なん で犯人にウサギが死んだ責任があるんだ?犯人はウサギの死体を見 つけただけだろう?」

「何度も言うように、ウサギが毒入りの餌を食べたのは事故だ。し かし、ウサギに餌を食べさせる機会はいつもの餌やりしかない。余 分な餌を与えたら園長は怒るから、他の従業員はウサギに餌をやる ことはない。ウサギを殺そうと思うのでもない限り。でもその可能 性は毎度のことながらない。となるとやはりいつもの餌に毒が混じ っていたというわけだ。確か餌をつくるのはローテーションだった よな。となると誰が毒入りの餌をつくったのかも分かるため、園長 は誰にウサギの死の責任があるのかが分かってしまうんだよ。当然 その餌は犯人自身が作ったんだろうね。ウサギの死体をどうにもで きない犯人は園長がウサギが死んだということを知る前に園長を殺 すしかなかった。」

「他の従業員を守ろうとした可能性は?」

「ないと見ていいだろう。いくら何でも他の従業員のために殺人は しないよ。そもそも仲悪かったわけだし。しかもこれで犯人が事故 だと確信できた理由が分からないか?なにせ自分がつくったんだか ら、殺す意思が無かったことは自分がよく知っている。」

「理解できないこともないな。ただ城黒、お前は重要なことを忘れ ている。」

「何が?」

「なんで犯人いや今は如月でいいのか?それはともかくなぜ「待ち ぼうけ」の見立てを行った?」

「如月でいいよ今は。まあともかくそれは最初に言っただろう?ウ サギが事故で死んだことを隠すためだ。」

「園長だけに隠せばいいんじゃないか?」

「今までの話聞いていたか?如月はウサギを事故とは言え死なせて しまい、それを園長に知られたくないがために殺害したんだ。事故 でウサギが死んだということが分かれば、水無月さんについての話 からウサギを事故とは言え死なせてしまった人物は身の保身のため に園長を殺害したという動機が浮上する。しかもさっき言ったよう に毒入りの餌を誰が作ったかは調べればすぐに分かる。」 「それで殺害犯人と言い切れるものか?」

「同じ日に偶然園長の殺害と園長のお気に入りのウサギの事故死が 偶然起こることがあるとは考えなかったんだろうな、犯人… 如月は。 少なくとも僕も偶然とは思わないだろうね。」

「死体を隠せばいいじゃないか。園長はいないんだし。」

「そういうわけにもいかないんだな、これが。園長が殺された日に お気に入りのウサギが行方不明となって関連性を疑わない人はいな いだろう。そしてさっきも言ったようにこのウサギ園は出入口が一 つで監視カメラで監視されている。そして園長の死体はいつも従業 員は園長に挨拶をしないと帰れないから確実にウサギ園に出る前に 発見される。園長の死体が見つかったあとでウサギ園の外に他の従 業員はでることはないだろうから、犯人だけウサギ園の外にウサギ を隠しにいこうとしても、ウサギがウサギ園の中で見つからないと 分かれば、当然監視カメラにウサギが逃げる姿は映っていないから、 犯人… 如月がウサギの「失踪」に何らかの関わりがあるとみなされ る。そしてウサギの死体が見つかり、如月の殺害動機が浮かび上が る。しかも死体を隠そうとしたんだから、それが当たりなのは見え 見えだ。」

「ということは、如月が「待ちぼうけ」の見立てを施したのは、ウサ ギが事故で死んだのではなく、犯人が毒入りの餌をつくり、その毒 入りの餌で見立てのために殺されたと思わせることで、園長にウサ ギの事故死の責任が自分にあることを知らせるわけにはいかなかっ たという殺害動機を隠すと同時に、事件当日の餌の時間にあげた毒 入りの餌をつくったのは自分であるとの事実を隠すためってこと か?」

「僕の考えではそうだ。しかし、これだけのことを10分以内で考 えたとしたらこの如月って人は相当頭の回転が速いことは間違いな いね。」

「10分?」

「ウサギの死体をビニール袋に包み、リュックサックに入れていた 時点でここまで考えていないとこのような行動はとれないだろう? いくらなんでも。」

「まあ、確かに。」


「これは警部に話すのか?」

 かなりの長丁場で私は疲れたが、城黒はそうでもないようだ。

「いや。これはほぼほぼ推理ではなく、想像だろう。」

「となると話さないのか?」

「まあ、一応事件当日の餌を誰が作ったのかは調べておくよ。」


  その数時間後。ウサギを入れたと思われるビニール袋が近くで見 つかった。中にはウサギの毛とヒ素の混じったウサギの吐しゃ物、 そして外側には如月の指紋がついていた。そういえばいつも素手だ ったな。

 また、筆跡鑑定をした結果、あの歌詞の筆跡の癖と如月の筆跡の 癖が似通っているという報告がなされた。

  ついでに言うと、事件当日の餌をつくったのは如月だった。

 警部がビニール袋の存在を明かすと、すぐに如月は自供した。

  ウサギの餌をつくる際に間違えて農薬を混ぜてしまったのではな いか、と証言している。

 それ以外はおおむね城黒の推理通りだ。あそこまで厳密な思考に 沿って実行したのは、正直に言ってすごい。


 あと、水無月さんは一昨日自殺未遂ははかったもののすぐにその 現場を見つけられて命に別状はないらしい。そこは私も城黒も勘違 いしていた。


  最後に

 如月は水無月さんに恋愛感情など抱いていなかったそうだ。